10年ひとむかし 3 <「カラーでよみがえる東京」>

東京オリンピックから50年ということで、NHKが当時の懐かしい映像を編集した番組を数多く放送していました。
全ては観られれなかったのですが、幼児の頃の記憶と映像をつなげながら「こんな時代だったのか」とあらためて思うことがたくさんありました。


そういう昭和30年代の映像をみると、いろいろな意味で貧しかった時代の日本が見えてくるのですが、どうして「昔の幸せな日本」とか「昔の幸せなお産」という幻想が出てくるのか不思議ですね。


さて、それらの番組の中で10月19日のNHKスペシャル「カラーでよみがえる東京 〜不死鳥都市の100年〜」はとても印象深い番組でした。


今、当たり前のようにパソコンの画面もカラーですが、90年代初め頃にパソコンが仕事で使われるようになった頃は2色の世界でした。
カラーテレビが広がりだしたのは東京オリンピックの頃のようですが、私の家でカラーテレビになったのは小学生の頃だったように思います。


私が幼児の頃のテレビは、今懐かしく観ているモノクロの映像だったのだと思うと何だか不思議ですね。


さて、番組ではそのモノクロの映像に色をつけたらどのように見えるかを、明治・大正時代からさかのぼって放送していました。
色があるだけでこんなにも人や風景がいきいきして見えるものなのか、興味深く観ました。


<「色のない時代の色のない映像」>


戦前や終戦直後までの映像はほとんどモノクロでしか観る機会がなかったのですが、それに色彩をつけても、その場にいた人にさえ「白黒」にしかみえない状況があったことを知りました。


それが1943年(昭和18)の学徒出陣壮行会の映像でした。


番組ではあの学徒出陣壮行会に女学生として見守った杉本苑子(そのこ)氏の気持ちが、ナレーションで流れていました。

色彩はまったく無かった。
学徒兵たちは制服、制帽に着剣し、ゲートルを巻き、銃をかついでいるきりだったし、グランドもカーキ色と黒のふた色。
暗鬱な雨空がその上をおおい、足もとは一面のぬかるみであった。


私たちは泣きながら、征(い)く人々の行進に添って走った。
髪もからだもぬれていたが、寒さは感じなかった。
おさない、純な感動に燃えきっていたのである。
あの日、行く者も残る者も、ほんとうにこれが最後だと、なんというか一種の感情の燃焼がありました。


この学生たちは一人もかえってこない。
自分たちも間違いなく死ぬんだと。

そして学生の代表が答辞を読みます。

生らもとより生還を期せず。誓って皇恩の万一に報い奉り、必ず各位のご期待にそむからざんとす。決意の一端を開陳し、以て答辞となす。

学徒出陣式の映像はよく見かけますが、これをカラーにした映像が番組で流されました。
でも、やはり見る側には白黒の情景でした。


<同じ場所での20年後の風景>


そしてちょうど学徒出陣壮行会から20年後、あの神宮競技場は華やかな色に包まれます。
そして杉本苑子氏は、その開会式の会場でその様子をみていたのでした。

オリンピックの開会式の興奮に埋まりながら、二十年という歳月が果たした役割の重さ、ふしぎさを私は考えた。
同じ若人の祭典、同じ君が代、同じ日の丸でいながら、何という意味の違いであろうか。


あの雨の日、やがて自分の生涯の上に、同じ神宮球技場で世界九十四カ国の若人の集まりを見るときが来ようとは、夢想もしなかった私たちであった。
夢ではなく、だがオリンピックは目の前にある。
そして二十年前の雨の日の記憶もまた、幻でも夢でもない現実として、私たちの中に刻まれているのだ。


きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。
私にはそれがおそろしい。


祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかないのである。
私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ。

あの東京オリンピックの開会式を20年前の記憶とつなげて思っていた方がいらっしゃることに、初めて気づかされたのでした。



<戦争へとつき進む10年>


番組のなかでは、1923年(大正12)の関東大震災で壊滅した都市が10年で復興を遂げて行く様子がわかりました。生活が少しずつ取り戻され、街にはおしゃれを楽しむ女性の姿もありました。



ところがその10年後、女性の姿はモンペ姿一色になります。
そして明るい色の着物が見えないように、皆、同じ色の上着を着ていました。
太平洋戦争に突入し、再び、東京はがれきの街になり戦争は終わりました。


伊丹万作氏の言葉が流れます。
映画監督伊丹万作氏は、伊丹十三氏の父親です。

多くの人が今度の戦争でだまされていたという。
いくらだますひとがいても、だれ一人だまされるものがなかったとしたら、今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。


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