夜勤の労働環境についてのあれこれ 1 <夜起きているのがつらい>

「夜勤をしたくない」と思う理由にはいろいろあるのではないかと思います。


「夜起きているのがつらい」これは自然なことでしょう。


1970年代終わり頃、私が看護学生だった時には夜勤実習がありました。
「夜中に働く」ことがどういう状況なのか想像もつかずに、緊張して初めて実習に出た日を鮮明に思い出します。


「眠くなって判断力が落ちて、人の命に関わるミスをするのではないか」それが最大の不安でした。
実際に働き始めると夜中じゅう起きていることにも慣れましたが、つらいのは明け方からの業務量が多く、日勤との交代時間までに病棟中を走り回るかのように働かなければいけないことでした。
検温や洗面介助、配薬を6時から1時間でこなし、7時になると配膳と摂食介助、その間には点滴交換や重症者の見回りがあり、日勤までには記録も書き終わらなければならない。
手術や大きな検査がある日には、その準備も滞りなく済ませておかなければいけません。
急変した患者さんがいれば看護師一人がその患者さんに対応するので、いつも二人でしているあの膨大な業務を他の看護師一人でやり終えなければいけません。


病棟にいる看護職は2人しかいなくて、患者さんの全ての責任を負う。
体力的にも精神的にもつらい時間です。


こちらも疲れと眠気がピークになる時間ですから、朦朧となりながら、2人で40人以上の患者さんの看護をするあの明け方の魔のような3時間は、一人夜勤という前近代的な看護体制に比べれば恵まれた条件なのかもしれません。


ただ、1970年代までにくらべて80年代、90年代と医療の内容が加速度的に増えて高度な医療を提供してくのに、反対に「家族付き添いを全面禁止」した完全看護へと移ったことで、看護職の業務量とその質は激変していることに、当時はあまり考えも及びませんでした。
今、こうして振り返って初めてそうだったのだと思えるのです。


あの明け方の心身ともにつらい時間は、「助手さんでもいいから、もう一人増やして欲しい!」と皆、悲鳴をあげながらも乗り切ってきました。


でも「二人夜勤でも十分ではない」ということは、本当はニッパチ闘争が終わったあと80年代ぐらいからもっと大きな声で言うべきだったのではないかと、いまだに変わらない夜勤人数の少なさに思うのです。


「夜起きているのがつらい」だけではなく、たった二人で(あるいは施設によっては未だに一人で)膨大な業務をミスのないようにこなし患者さんの全責任を負うのですから、普通だったらやりたくないようなことではないでしょうか。


そしてさらに私たち看護職だけでなく、90年代以降は訪問看護や介護で、夜間も働き続ける人が増えました。


「夜起きて働く」ことの大変さは、なかなか定量的にも定性的にも表現しにくいと、自分でこの記事を書いていても思います。




夜勤についての記事のまとめです。

「看護職の夜勤、二交代か三交代か」
「 看護職の夜勤について思うこと」
「夜勤の労働環境について思うこと 1 <夜起きているのがつらい>」
「夜勤の労働環境について思うこと 2 <電話が怖い>」
「夜勤の労働環境について思うこと 3 <夜中の通勤の怖さ>」