母乳のあれこれ 36 <母乳推進のためにお買い物券進呈>

日常生活というのは、マスメディアからの情報にかなり影響を受けていると思います。
医療現場も時にその影響を受けることがあって、「テレビや雑誌にこう書かれていた」とあわててやり方を変更するきっかけになることもあります。


こちらの記事で紹介した「英国の医療制度は母乳促進に失敗している」の全文を再掲します。

英国では若い・白人・社会経済的地位の低い人たちが乳児用ミルクを多用している。英国や国際機関が母乳育児を推進しているにも関わらず、英国では赤ちゃんを産んで母乳を与え始めた人の40%が6週齢までの母乳をやめてしまい、6週齢で母乳のみの赤ちゃんはたった20%である。止める理由の一つに痛いからというのがある。また、医師は母乳を与えることに適切な助言ができるように訓練されていない。

前半部分のイギリスの事情は別にして、もし強調部分を日本の周産期医療の問題点のように報道されたら、きっと「なんとか痛くないような授乳方法のテクニックを周知させなければ」とそれがその解決策のような方向に進みやすいのではないかと思います。


ところが、数年たつとこの報道の背景にある意味や方向性が違うものであったことが見えてくるのかもしれません。


<イギリスの「母乳バウチャー計画」>


「食品安全情報ブログ」に、「なるほど、こうつながっていくのか」と思った記事がありました。
「母乳バウチャー計画が『期待できる』」というイギリスの記事です。


私の少ないボキャブラリーでもバウチャー(買い物券)は知っていたので、タイトルだけをみると何を言っているのか全く理解できませんでしたが、こんな内容です。

母親に母乳を与えることを勧めるために、買い物券を提供するという議論の多い計画の初期結果が期待できるものだった」とBBCニュースが報道した。
この計画は発表後多くの議論を呼んだが、英国での母乳育児率の低さに取り組むためのものである。最も貧しい地域に済む母親たちが哺乳瓶で育てている。この予備的計画では、新米ママに子どもが一定の年齢になるまで母乳を与えれば買物券を提供するというものである。
Debyshineと南Yorkshineの3つの地域で、6週間の間に子どもを産んだ100人超えの母親にこの計画が実施された。この地域では6-8週齢の子どもへの母乳率は21-29%である。買い物券が利用できる期間は34.3%が母乳だった。母親と医療関係者の両方がこの計画に高い満足を示した
研究者らは無作為対象化試験でさらなる研究を計画している。
買い物券を与えられるのは生後2日、10日、6週、3ヶ月、6ヶ月でそれぞれ40ポンド。


40ポンドはおよそ7,400円です。
研究の全容はわからないのですが、どうやって「母乳をあげている」ことを確認するのだろうというのが、まずは素朴な疑問ですね。単に口頭で質問して確認するのか、それとも実際に授乳しているところを確認するかによっても、かなり数字の意味は違ってきそうです。


「母乳推進の動きの始まり」の後半に紹介したダナ・ラファエル氏の「医療専門家による調査の不備」の指摘がそのままあてはまるのではないかと思います。

人は不可避的にretrospective response(既往反応)と言われる回答をします。すなわち、質問者の質問の意図を推し測り、質問者が聞きたがっているような回答をしたり、あるいは何か食物のようなちょっとした褒美をくれそうな答えをいったりするわけです。


社会に母乳推進の雰囲気があれば、調査にもその空気を読んだ答えが増える事でしょう。
まして「買い物券」がもらえるのですからね。
そして、こういう社会の実態調査に無作為対象化試験が有効なのかも、素朴な疑問です。研究のことはよくわからないので。


この結果を満足と感じる医療関係者が多いのであれば、それはそれで問題のような気がします。


<貧困には経済政策が答え>


さて、2008年と2014年の二つの記事に共通するのが貧困や社会的経済的地位の低さです。
イギリスの社会事情について私は不勉強ですが、少なくともこの二つの記事を読む限り、もしこの地域の女性が母乳を続けたいとしていたとしても、答えは「授乳の痛みへの医療的なアドバイス」でも「買い物券」でもないと思います。


こちらの記事で紹介したダナ・ラファエル氏の
書かれていること以外にないことでしょう。

どちらかといえば、私たちは哺乳行動の展望を語るときには、もっと状況に重点をおかねばならないと思います。母親のライフスタイル、男性の経済的地位、母親の支援ネットワーク、母親や赤ちゃんの口に入る食糧の量、入手できる度合いなどの重要な変数に注目しなければならないのです。


私のイギリスに関する浅い知識では、「揺りかごから墓場まで」の福祉政策が「貧困は自己責任」に大きく変わった時代の中で生じたひずみに対して、現実的ではない解決策があさっての方向から作られているという印象の記事でした。


話題になるニュースを常に過去と未来に結びつけながらとらえるようにしないと、またひとつお母さん達に意味のないストレスを与えるだけの対応をしがちかもしれません。
報道されたニュースに踊らされないようにしたいものだと、あらためて思いました。





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