世界はひろいな 24 <どうぞとありがとう>

なんだか道徳っぽいタイトルですが、30年ほどまえに犬養道子さんの本の中で出会った言葉です。


「どうぞとありがとう。この二つの言葉があれば世界中のどこでも生きていくことができる」
そんな内容だったと思います。


私の両親は、外出してもお店の人や周囲の人に「ありがとう」とか「おいしかった」といった感謝の気持ちを必ず表現していました。
そういう親の背をみてそだったはずなのに、なぜか「ありがとう」という言葉を言いづらい年代がありました。


おそらく、日本では何かをしてもらったらまず「すみません」と謝ってしまうからではないかと、英語の授業が始まった時に感じたのでした。きっと同じように思った方は多いのではないかと思います。
でもつい、「すみません」になってしまうのですよね。


何かしてもらった時、たとえば道を譲ってもらったら「Thank you.」といい、さらに「You are welcome.」と返ってくる。
I(私)とYou(あなた)は、つねに対等な関係であるからこその表現なのだろうとうらやましく思っていました。


「すみません」ではなく、何かをしてもらったら「ありがとう」といってみよう。
犬養さんの本を読んでそう思ったのでした。


<「どうぞ」「ありがとう」という表現がない国もある>


20代半ばから東南アジアやアフリカで過ごしたのですが、現地の言葉で「どうぞ」と「ありがとう」をまず覚えるようにしました。


ところが、なんと「そんな言葉はない」「そんな意味の言葉はあまり使わない」と言われたこともあってびっくりしました。
その二つを知っていれば「世界のどこでも生きていける」はずだったのに。


でも日常生活にとけ込んでいくにしたがって、そういう表現を必要としていないだけで、十分に「どうぞ」「ありがとう」を行動で示しているのだということがわかりました。


ある国では「OK」にあたる言葉が、会話の中にしょっちゅうでてきました。
「いいよ」「先に行って」「気にしなくていいから」「助かった」など、どのような状況でも使える言葉でした。
なるほど、あえてどうぞとかありがとうでなくてもいいし、まして「すみません」のようにへりくだって謝る必要もないですね。


国や地域によっては、「ありがとう」や「ごちそうさま」といった言葉は感謝を表すというよりも、かしこまりすぎてしまうのであまり使われないところもある印象でした。
言葉で表現しなくても、十分に伝わる。
あるいは感謝の言葉を求めないあっさりとした感情とでもいうのでしょうか。


でも、最近はだんだんと犬養さんが伝えたかったことがぼんやりとみえてきたような気がします。
「どうぞ」「ありがとう」という言葉自体よりは、そういう気の持ちようがたしかに日常世界のどんな状況でも生きていける感情の切り替えになるのかもしれないと。




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