記憶についてのあれこれ 64 <リスク>

言葉はどのように生まれ、どのように広がっていくのでしょうか。


私たちが今、日常で当たり前のように使っている言葉も、1世紀前いえ半世紀前でもその言葉自体が存在していなかったものもあることでしょう。


それを思い起こすのが、「経済」という言葉です。
中学か高校の授業で、「経済という言葉は明治時代になってできた」というトリビア的な話が記憶に鮮明に残っています。


当時はその真相を確認できるほどの本や資料もなかったのですが、Wikipedia「経済」の説明にそれらしいことが書かれています。

日本語である「経済」という語は、はじめpolitical economyの訳語として導入された。この訳語の作者は福澤諭吉であるとされたこともあるが、福澤が書物の名前ないし講義名として「経済」という語を用いたとき(1862年、1868年)には、すでに1862年発行の辞書『和訳対訳袖珍辞典』がpolitical economyの訳語として「経済」「経済学」の訳語を上げており、同じ年に西周が手紙の中で「経済学」の語を用いている。


江戸時代にタイムトリップして「経済」という言葉を使っても、皆首をかしげるだけということですね。


ただ、1860年代前後に「経済」という日本語が生まれても、その概念が浸透するまでにはまだまだ時間が必要だったことでしょう。


「経済」という言葉が当時の社会に定着するまではこんな感じだったのだろうかと思う言葉に、「リスク」があります。
もちろん「リスク」は英語そのものなのですが、その言葉と概念が社会に浸透していくまでは似ているかもしれません。


<初めて「リスク」という言葉を聞いた>


今は医療の話題で「リスク」という言葉を見ない日はないほどですし、さまざまな分野でリスクという言葉が使われています。


私が初めてこの言葉を聞いたのは1981年か82年頃で、勤務していた病院の看護副部長さんとの会話の中で「リスク」という言葉がでてきたのでした。「リスクって何????」と帰宅してから辞書を調べましたが、載っていませんでした。


当時、英語は好きだったので、コンパクトながらも語彙数の多い英和辞典を持っていたのですが、書かれていないのです。
書店に行って英和大辞典などで探してみたのですが、riskは見つけだせませんでした。


看護副部長さんとの会話の流れから「危険性」のようなニュアンスだと理解したのですが、辞書にも載っていないし、日本語のニュースや新聞ではまず使われていませんでした。
英字新聞も購読していましたが、目にすることはありませんでした。


リスクって何だろうとずっと気になっていましたが、1990年代前後から急激に、医療の現場でもこの言葉を目にする機会が増えました。


<言葉は知っているけれど、本当に理解しているのだろうか>


リスクという言葉を初めて聞いてから30数年たち、いまや体の一部のような言葉になったというのは大げさでしょうか。それくらい、仕事上でも日常でも意識させられている言葉です。


でも、「リスクとは何か、説明せよ」と言われたら、言葉に詰まりそうです。


Wikipediaリスクには以下のように説明されています。

 リスクとは、一般的には「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」と理解されているが、工学や経済学などの分野によって定義はさまざまである。
 日本語ではハザードとともに「危険性」などと訳されることもあるが、ハザードは潜在的に危険の原因となりうるものを指し、リスクは実際にそれが起こって現実の危険となる可能性を組み合わせた概念である。
 ハザードがあるとしても、それがまず起こりえない場合にリスクは低く、一方確立は低くても起こった場合の結果が甚大であればリスクは高い。


先日のイデオロギーと同じく、30年から40年もたつと、これだけ言葉の説明も詳しくなるものかと感無量という感じです。


ただ、私自身の中の「リスク」に対する思考や経験の蓄積から、もっと感覚的にリスクという概念を感じ取っているところがあり、それを言葉で表現するのは難しいなとも思います。


そのあたりが、こちらの記事で紹介した、犬養道子さんの「知識として知っていることと本当に理解しているということは違う」というあたりにつながるのかもしれません。






「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら
犬養道子氏に関する記事のまとめはこちら