録画予約は忘れてしまいがちでしたが、カティンカ・ホッスー選手の情報は気にしていました。
大会直前に「競泳界の『鉄の女』が水の上を歩く奇跡の一枚」(Newsweek、2021年7月27日)があり、「最近は水の上を歩くの。新しい趣味ね」というニュースがありました。
今年もいくつものレースに出場する姿が見れると楽しみにしていました。
ところが、いつもはセンターレーンで他の選手を体ひとつ分は離してのレースが多かったのに、今年は1レーンだったり、何かが噛み合っていなかったようです。
残念ながら、映像ではホッスー選手の泳ぎを見ることが少ない大会になりました。
つい「不調の理由を知りたい」と思ってしまったのですが、今回の他の競技に出場していた選手が「負けたときにインタビューするのはやめて欲しい」と発言していて、ハッとさせられました。
ほんと、そうですよね。選手本人がなぜそういう結果になったのか、自分自身がまだ分析できていない状況で言葉を求められるのですから。
オリンピックの前にも、テニスの大阪なおみ選手がインタビューを断るニュースがありました。
街頭インタビューで物怖じしない人が増えた分、言葉にならないものをすぐに言葉にさせる風潮への異議申立てかもしれません。
*虚像へ抵抗できるようになってきたのかもしれない*
平泳ぎのアダム・ピーティ選手が1ヶ月休養というニュースがありました。
「非常に疲れた。強制的に休養をとる。1ヶ月はプールに入らない」「スポーツは普通の仕事ではない。大きなプレッシャーがかかる。幸せはお金では買えない」(KYODO、8月2日)という内容は、いつも自信を持って泳いでいるように見えたその姿からは想像できないものでした。
その記事から、2019年の「7冠のがしたドレッセル、『髪が抜けた』と重圧明かす 世界水泳」(AFPBB、2019/7/29)の記事があったことを知りました。今回もドレッセル選手は順調に見えたのですけれど、こんなこともあったのですね。
イアン・ソープ選手、グラント・ハケット選手そしてマイケル・フェルプス選手など引退後にうつを発症したように、トップアスリートと呼ばれる選手は常に強さを求められ優勝やメダルを期待され、その残酷な結果には責任を負わない社会に対して少しずつ声が出てきたのかもしれません。
「体育」と「スポーツ」の違いで紹介した野口智博氏の「人間が、体育やスポーツに多くのものを期待しすぎている」という言葉が、しだいにあちこちから明らかになってきたように感じる大会でした。
これも世界的な感染症拡大という健康を脅かす状況での開催だったから、「無理なことは無理」と言えるきっかけになったのかもしれませんね。
人は何のために「運動」「体育」あるいは「スポーツ」をするのでしょうか。
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野口智博氏に関する記事のまとめはこちら。