記憶についてのあれこれ 81 <珠玉の言葉>

昨年の今頃はまだ杖をつきながらゆっくり歩けていたので、父と散歩に出かけてソフトクリームを食べたり、父の意識のそこに残されたものが沸き上がってくるかのように禅問答のような会話をしていました。


認知症からくる同じことを何度も話すことを父はどこか気にしていて、「さっき聞いたかもしれないけれど」と少し申し訳なさそうに同じ質問をしていました。
以前だったら同じ会話の繰り返しにちょっとイライラしたのですが、昨年の今頃はむしろ父の記憶がなくならないうちに何度でも同じ話でいいから聞きたいと思うようになっていました。


昨年末に2度目の脳梗塞を起こして半身麻痺になってから、面会に行くごとに父に残された会話や行動がだんだんと減ってきました。


5月にはまだ私のことを妹と認識してくれていて、持参したお菓子を「妹と食べると美味しい」と喜んでくれたのですが、最近はもう誰かということにも記憶がなくなってしまったようです。


5月頃にはまだそのお菓子を一緒に食べる時にも、「あなたも食べなさい」と勧めてくれたり気遣ってくれる言葉もありました。昔から父はそういう人でした。自分が食べたくても、他の人にまず勧めるような。


最近では、持って行ったお菓子を必死になって次から次へと食べようとします。
でもそれでいいと思っています。
ずっと人のためにがまんして来た人ですから、今ぐらい自分のやりたいようにやってくれればと思うので。


そして感情の表現が少なくなり、食べ終わると目をつぶっていることが多くなりました。
たまに「おいしい」という一言が聞けたら、もう珠玉の言葉のようです。


父が車いすの生活になってから、それまで私は父にしたこともない肩たたきを始めました。
特に戦争や慰安婦についての考え方が大きく違って父と精神的にも距離を置いていた頃には、父の身体に触ることさえ抵抗がありました。
その気持ちがふと解けてなくなり、無理に会話を引き出すよりも父が心地よいと思ってくれる時間をつくってみたいと思うようになりました。


肩や背中を軽くさすったりしていると、「気持ちがいいな。もう少し強く」など言ってくれました。
しばらくすると「もう大丈夫。疲れたらもういいよ」と言うので、その通りにして止めます。
2〜3分もすると父の方から背中をさすって欲しいかのような様子を見せるので、またさする。
それを何度も何度も繰り返していました。
こんな時、直近の記憶がなくなるのは便利だなと思いながら。
私もずっとそうしていたかったので。


最近は、もう何も言ってくれません。
ただ、そうしてうとうとした後に突然、「ここは山がよく見えるいい場所だったね」「あの山に5回ぐらい登ったことがある」など話し始めることがあるので、静かに静かにその眠りを妨げないように背中をさすったりしています。



「おいしかった」
そんな当たり前の一言が珠玉の言葉になるとは思いもよらないことでした。
そしてあと何度、父の口からでる言葉を聞くことができるのでしょうか。


いえ、言葉がなくてもそこに父がいるだけで十分なのですけれど。






「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら