記憶についてのあれこれ 99 <不安>

年齢よりも10歳ぐらい若く見えて認知症以外は大病知らずだった父も、90に手が届く頃から脳梗塞をはじめいろいろと不調が出始めました。


ちょっとした傷から高熱を出したり、同じ病棟では疥癬の方もいなかったのに疥癬になったり、面会に行くたびに「今日は無事に一緒にホールでコーヒーを飲めるだろうか」とドキドキしています。


景色の良いホールで一緒にお菓子を食べたりコーヒーを飲んで、いつもの「おいしい」のひと言が聞けることが、平穏ゆえの幸せな時間なのだと思うこのごろです。
1年前はこのまま会話もなくなっていくのかと寂しい気持ちでしたが、最近はまたふと思い出すことを話してくれることが増えました。
そして「妹」と思ってくれているようです。


健康も記憶も一直線に失っていくわけではなく、なだらかな山をのぼったり降りたりしていくようです。


最近も高熱を出しました。
面会に行くと顔もむくんでいて話すのもだるそうな様子に、心の中では「もしかしたらこのまま」という半ば覚悟もしたのですが、次に行った時には少し痩せていましたが、すっかり元気になって一緒にコーヒーを飲んだのでした。


その時に父が言いました。
「私は病気ではないから、大丈夫。みんなに心配しないように伝えてください。ちょっと休んでいるだけですから」と。


たぶん、熱を出したり点滴をしたこと自体は忘れていて、なにか体調が悪かったことが漠然とした記憶として残っているのだと思います。
「わかりました。少し頑張られすぎたので、休むことも大事ですね。いつも健康に注意しているので、すごいことですね」と言うと、満足そうな表情になりました。


「不安」というのは人生の最後まで私たちに残る感情かもしれないと、父を見ていると思います。


「不安」とは何で、そしてどのように記憶されていくのでしょうか。



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