記憶についてのあれこれ 43 <「うまい」食べ方>

身近な人でおいしそうに食べるといえば、父がいます。


年末に脳梗塞で入院した父をみて、兄弟が「うまそうに左手で昼飯を食っていた」ということがまず印象に残ったのもそのためかもしれません。


10年前に認知症になってからも、そして2年前に軽い脳梗塞になってもほとんど日常生活動作は自立できていたのですが、食事も今までは普通に食べていました。
さすがに今回は右半身麻痺になり、利き手とは反対の手で食べるのでこぼれてもよいように食事用の介護エプロンを着る必要があり、また発症直後のために全粥・きざみ食でした。


しかも5人部屋の大部屋で、そのうち2人が意識障害で経管栄養ですし、他の方も食事中に排泄を訴えていました。


30年前に外科系病棟で看護師として勤務していた時から、病院の食事風景としては私には見慣れている雰囲気なのですが、さすがに父にとっては食欲をなくすような状況だろうと思います。


ところが父は周囲の状況が気になる様子もなく、とにかく左手でスプーンを使って食べることに集中していたことに私は救われました。


そしてその食べ方がまたおいしそうなのです。
「うまい」とはさすがにいいませんでしたが、黙々と食べて時々心のなかで「うまい」とつぶやき、完食するあの井の頭五郎氏のようでした。



<「音を立てないで食べる」>


私が生まれる前から父は曹洞宗のお寺で坐禅をしていました。
1年に何日かは、仕事の合間に関東近郊の禅寺に修行に行っていたようです。


まだ幼児の頃から、父は私たちに禅寺での食べ方を見せることがありました。
「くちゃくちゃと音を立てて食べてはいけない」「音を立てると餓鬼がくる」「残さずに全てを食べる」そんなことが記憶に残っています。


認知症になっても父はいつもどこでもおいしそうに食べていました。
なにが「おいしそうに食べている」と感じさせるのだろうと考えると、音を立てないで静かに食べていること、どのような食事でも残さないこと、そして最後に必ず感謝の一言があるからなのかなと、あの病室でも平常心で食べている父の姿をみて思いました。


定年の頃に父は念願の永平寺での修行に行きました。
検索していたら、昨年、BS朝日「在る×永平寺」という番組があったようで、禅寺での食事の様子がわかる説明がありました。

 朝課を終え、ようやく小食(しょうじき)と呼ばれる朝食です。ほうを叩く音とともに僧堂に食事が運ばれてきます。おかゆに沢庵、梅干しとごま塩・・・これが小食の全て。私語は禁じられ決してほおばらず、音を立てず・・・器を高く持ち食べ物を下には見ないのは敬いの表れです。

そう、父が「沢庵も音を立ててはいけない」といって、静かに食べるのを見せてくれたことがありました。


 雲水のお昼ご飯、中食(ちゅうじき)は麦飯に一汁一菜・・・この中食は自分の麦飯から七粒ほどを差し出す、生飯(さば)という儀式を伴います。食物に恵まれない全ての存在を思い、この食が届くようにと祈るのです。集められた麦飯は敷地内の野鳥たちに捧げられます。

 夕方4時半・・・雲水たちは釈迦牟尼仏を祀る、仏殿に集まります。午後の読経、晩課諷経(ばんかふきん)です。そして温めた石を抱き上に耐えたという故事に由来する夕食、薬石は一汁二菜・・・。

父は、若い頃からこういう修行をしていたのですね。



孤独のグルメ」の井の頭五郎氏はむしろスープなどをすする音もおいしそうに感じましたから、「作法」でいえば父とは対極なのですが、なにか似ていると感じるのは不思議です。


目の前の食べ物に集中し、残さず食べ、感謝する。
そのあたりなのでしょうか。
おいしそうに食べる事ができるというのも奥が深いですね。





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