記憶についてのあれこれ 47 <女性が2DKを借りる事もできなかった>

NHK「"空き家列島”の衝撃」の中で、空き家が増えて来た原因として、「夢のマイホームを手に入れたが、子ども達が同居しない風潮になっている」と「団塊ジュニアの女性が結婚後も仕事を続けるようになり、郊外の親の家ではなく仕事に便利なところに住むようになった」ということもあげられていました。


前者はそうだろうとも思うのですが、後者の「団塊ジュニアの女性」に空き家の原因があるかのようなまとめ方は雑すぎるのではないかと感じました。


むしろ女性がどこに住むか、住みたいところに住むことさえ阻む要因が日本にはたくさんあります。


政府が将来的にインフラを集中して居住地区を集中させて行く方針であればなおさら、女性も男性も、年齢や家族構成の変化とともに、自分の生活にあった家をヤドカリのように移り住みやすくしていくことは大事だと思います。


<女性が部屋を借りることへの社会の変化>


1980年代初頭に勤務した病院では、最初の2〜3年は看護師寮にいる人がほとんどでした。
まだ結婚の平均年齢が25歳前後の時代でしたから、自分で部屋を借りて一人暮らしをする先輩というのは私の周りでもそれほど多くはいませんでした。


1980年代後半の都内でも、私が部屋を借りる時には「女性で一人暮らし?」「20代後半なら、すぐに結婚してでていくよね?(更新はしないよね)」という雰囲気がありました。


1990年代になるとだいぶ風向きが変わりました。単身者向けのワンルームマンションが増えて、女性でも年齢に関係なく歓迎されるようになり、部屋を借りやすくなった時代でした。


1980年代に東南アジアで暮らした時には、アメリカの友人とルームシェアをした家が最低でも2LDK、広さにしたら80平方メートルぐらいはありました。
日本に帰ってからも少し広い家に住みたいと思うようになりました。


23区内で2LDKは家賃が高かったので、武蔵野あたりの不動産屋さんで探した事があります。
ところがそこで、「女性一人で2LDK? そんなのはこの三多摩地域では受け入れてもらえないよ」と言われました。家賃を払う収入があっても、女性が一人で二間の家を借りることができなかったのでした。


1990年代半ばになるとむしろ女性向けのマンション販売がさかんになり、女性が自分の家を持つ事へも敷居が低くなりました。


1980年代から90年代のそうした変化は、ちょうど私の20代から30代前半という「これからどう生きていくか」模索していた時期と重なります。
当時、結婚するということは微塵も考えていなかったので、女性が一人で生きていくためにはまず住む場所を確保することが最優先課題でした。


「女性の一人暮らし」が珍しかった時代から、自分の家を購入することも可能になるという時代へ、わずか十数年ほどの急激な変化だったのだとあらためて思います。


そして1980年代は、中高年の女性の一人暮らしへの視線となるとさらに厳しい雰囲気がありました。
最近は、年齢に関係なく賃貸の部屋も借りやすくなったと感じます。


またここ数年、サービス付き高齢者向け住宅もよく見かけるようになりました。


こうしていつの間にか社会の制度が少しずつ良くなって、高齢者の女性の一人ぐらしにも住む場所の不安が少なくなる時代がくることは、1980年代には想像もしていませんでした。


介護施設に入居するほどではなく生活は自立しているけれども、年々、体の衰えとともに家を維持するには不安がでてきたら、そういうところに引っ越すのも良いかなと思います。


両親を見ていても、一方が早く施設に入ったり亡くなって残されたことを考えて、まだ体力と気力のあるうちに身辺整理をして殻(家)の大きさは、その入り口に鋏をあててて大きさを測り住む場所を変えて行くのもひとつではないかと思いました。







「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら