記憶についてのあれこれ 46 <やどかりの歴史>

ヤドカリの歴史といっても、こちらのヤドカリではなく、私自身の居住歴です。


リンクさきのWikipediaにあるように、「新物件発見」「引っ越し完了」の繰り返しのまさにヤドカリです。
しかも小さい頃から父親が転勤族だったので、本当に何カ所住み替えたのだろうと思い返しています。


私の人生最初の家は、父方の祖母の家の離れだったようです。
当時の記憶が、アルバムの写真から作られたものなのかそれとも本当に記憶に残っているのかはあいまいなのですが、小さな中庭の風景をよく思い出します。


その後じきに、公務員だった父親の仕事の関係で都内の官舎へ引っ越しました。
3歳ごろだったと思います。
真新しいにおいのする団地の記憶が明瞭に残っています。
リンク先のWikipediaの説明にあるように、1950年代から日本中で鉄筋コンクリートの団地がたくさん建設されて、お風呂と水洗トイレ、そしてダイニングキッチンがあるこうした団地はあこがれのまとだったようです。
小さな公園があって、子ども達のための遊具も作られていました。


ただ、この官舎は水洗トイレはあったけれどお風呂はなかったので、銭湯に通った記憶があります。
1960年代に建てられた都営住宅の団地で、ベランダに後から風呂場を付け足している住宅が最近までありましたが、当時、内風呂を作るというのはやはり贅沢だったのでしょう。



幼稚園の時に、また父親の転勤で都内から山間部へと引っ越しました。
都内に比べて街灯も少なく、夜になると真っ暗で寂しい記憶しかなかったことは<街のあかるさ>の中で書きました。
そしてお風呂もガスではなく、オガライトという特殊な燃料を燃やす手のかかるものに逆戻りしました。


それでもうれしかったのは、平屋建ての官舎だったので各家に庭があったことでした。
それからは官舎を3カ所、引っ越しました。


<両親の脱・官舎>


父が50代になる頃に、退職後のことも考えて、両親はその地に家を建てて根を下ろすことを決めたようです。
2年ほど民間の借家に住みながら、両親にとっての「自分の住処」を建てるために準備しました。


それまで官舎を点々と引っ越して来たので、これが私にとって初めて民間の借家に住む経験でした。
3Kの一戸建てでしたが、当時4万円ぐらいの家賃と聞いてびっくりしました。
「家を借りるのはお金がかかるのだなあ」と。
今までの官舎に比べても作りが粗雑な家でしたが、駅に近くて便利でした。


戦前・戦中・戦後を生きて来た両親世代には、1970年代にマイホームを持つ事は現代以上に大きな夢だったのかもしれません。
「我が家」の設計図を前に、両親がうれしそうだった様子を思い出します。


新しい家は、市の中心から車で10分ぐらい離れたところでした。地元の農家が定期借地権で貸し出す土地に家を建てました。
周囲には家が数軒あるだけで田畑しかない、これまた寂しいところへ再び住む事になって、私は幼稚園の頃に都内から引っ越して来たときの心細さが蘇ってきたのでした。


「(あ〜なんでこんな辺鄙なところに建てるのだろう)」「(あのボロくても駅に近いところの家のほうが良かったのに)」と。


暗くて人が少ないところへの寂寥感といった幼少に刷り込まれたの気持ちの問題だけでなく、現実的にもなぜそんなに不便なところへわざわざ家を建てるのだろうと不思議でした。


<「鋏を当てて大きさをはかる」>


冒頭でリンクしたヤドカリの説明に、「殻の大きさは、その入り口に鋏を当てて大きさを測るという」とかかれていてへえーですね。


両親が建てた家は5DKでした。地方ではそれくらいの家は大きい方ではないけれども、じきに子どもも進学で家を離れるのになぜそんなに大きな家にするのだろうと、当時も思っていました。
寒冷地なのに居間で石油ストーブだけという暖房で、それまで住んだ数々の家の中で一番寒いと感じました。
両親が年をとっていくのに、暖房費が大変そうだというのが心配でした。


築20年ぐらい、ちょうど両親が70代60代半ばになると、あちこちの修繕費が必要になってきました。
そして父に認知症の症状が出始めたのでガスでは心配と、かなりの費用をかけてオール電化にしたようです。
その数年後には、二人とも施設に生活の場を移すことになりました。


高齢者二人には大き過ぎる家の、維持費や暖房・光熱費は高額です。


私が住む都内には1990年代には、見守りつきの高齢者用集合住宅が造られ始めていました。
駅にも近く、買い物や通院にも便利です。


両親の住む地域にはまだありませんでしたが、駅近くで二部屋ぐらいの集合住宅に引っ越すことも考えてはどうかと話した事もありますが、自分の家への思いが強いようでした。


私は子どもの頃から3〜4年ごとに引っ越していたので、今でも引っ越しにはあまり抵抗がなく、「今の自分の生活と自分の身の丈に合った家か」と入り口に鋏をあてるヤドカリと同じなのですが、親は違う気持ちがあるようです。





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