世界はひろいな 21 <社会階層を意識する社会>

一見、昨日までの母乳関連の話題とは離れていますが、明日の記事につながる内容です。


日本の社会に「一億総中流」意識が広がったのは1970年代のようです。


私が小学時代に過ごした山間部でも、1970年代は貧富の差を同級生に感じることがほとんどないくらいでした。
「貧富の差」というのは、義務教育からさえこぼれるほど家庭がまずしいとか、学校で必要な物や服が変えないほどの友人はいなかったという意味です。
「親が地元で偉い人」という同級生はいても、友人関係が変わるほどの社会的階層があるとは感じることもありませんでした。


1980年代になって東南アジアのある国で働き始めたときに、その社会には歴然とした「階層」があることに驚きました。
「大金持ち」や「名門」と呼ばれる人たちと、「普通」「貧困層」の格差は歴然としていました。


その大金持ちのルーツをたどると植民地時代に西欧の宗主国との関係が深かったのだろうということは、その風貌をみるだけでわかりました。
西洋人との「混血」であることが上流の証でもあるようで、日常生活の会話の中で「あの人は混血」「あの人は混血ではない」ということが話題にされることに驚いたのでした。
その国の言葉で「混血」という単語を、赴任した直後に覚えたほどです。


私の同僚だった現地の看護師は、こちらの記事に書いたようにその社会ではエリートであり、高いプライドを持つ人たちでした。


難民キャンプのスタッフハウスで一緒に生活をしていましたが、彼女たちは周辺の村からお手伝いさんを雇って洗濯や掃除をしてもらっていました。
私は「お手伝いさんを雇うなんて分相応ではない」と感じましたし、洗濯や掃除は気分転換になるので、いつも外の水道でたらいをつかって手でゴシゴシと洗っていました。


「(金持ちの日本人なのに)なぜ自分でそんなことをするの?お手伝いさんに頼めば?」と不思議に思うようで、何度も勧められました。


たしかに私が周辺の村の女性に頼めば、小金がまわり彼女たちの生活費になるでしょう。
でも、「ハウスキーピング」として家事の依頼が対等な関係で契約をされているのとは違い、そこには村の女性との社会の階層格差が歴然としている事に私は躊躇したのでした。


その国のテレビでは、ドラマと音楽・ダンスの番組が多く放送されていました。
ドラマでは「シンデレラストーリー」が多い印象でした。
大金持ちの家で働くお手伝いさんの若い女性が、その家の息子に見初められるという話です。
そんなドラマを、皆が食い入るように観ていました。


また音楽・ダンスのオーディション番組がたくさんありました。
1970年代の「スター誕生」を観ているような感じでしたが、日本のそれよりもっと一攫千金、チャンス到来への願望が強く私には感じられました。
うまくいけば、国内だけでなく海外への出稼ぎのチャンスになるのですから。


そうすれば立派な家を建て、家族を学校に行かせる事もできる。
貧困層から脱して、うまくいけば上流階級にデビューできる。そんな熱意が感じられました。


難民キャンプの同僚もその後アメリカの病院で働くことになりました。
それまでエリートとしてプライドも高く、お手伝いさんを頼むような生活だった彼女達が働くのは、アメリカ人が嫌がるICUの補助的で過酷な仕事だったようです。


20代の時に、この社会階層が歴然とした国があることを体験してからは、私の中には「階層」という言葉がいつも引っかかっているのです。


そして、私たち助産師という職業もまた女性にとって階層を超える手段であった時代があったということに、ようやく最近になってつながったのでした。


その「階層」とか「階級」という言葉が、母乳推進の中で使われるようになるとは思いもよらないことでした。
ということで、次回に続きます。




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