事実とは何か 11 <過度の一般化>

m3.comという医療ニュースのまとめサイトで、「『もう女じゃなくなったのね』と言い放った看護師」という記事を見つけました。
読売新聞2016年8月24日の、「わたしの医見」に寄せられた投稿のようです。


東京都大田区 主婦  71


子宮筋腫が見落とされていたという女性の投書を読み、自分自身の経験を思い出した。


30代後半の頃、地元の産婦人科医院で受けた検診で、子宮筋腫と診断された。医師はしばらく様子をみる方針だったが、月経時に異常な出血があり、痛みがひどいため、私は手術を希望した。


手術すると、筋腫が思ったよりも大きいことが分かり、子宮を全摘することになった。医師は「こんなに大きいとは思わなかった。危なかった」と打ち明け、女性看護師は「もう女じゃなくなったのね」と言い放った。


頼りない医師の言葉と、心ない看護師の言動を胸に、今も「女らしく」生きているつもりだ。

新聞社がこの投書を載せた意図と、「医見」という造語は何を表現したいのだろうと、あれこれと考えてしまいました。



<1980年代初頭の婦人科医療>



この女性が子宮全摘出術を受けたのは、私が看護師になった1980年代初頭の頃のようです。



当時、子宮筋腫の診断は、双合診といって内診と腹壁からあてた手によって大きさなどを確認するぐらいしか、市中病院では診断方法がなかったのではないかと思います。


子宮筋腫」というと思い出されるのが、富士見産婦人科病院事件ですが、Wikipediaの説明には1980年では「まだ珍しかった超音波検査」と書かれています。


エコーで書いたように、1980年代後半から1990年代初めの頃に、経腹エコーと経膣エコーが急激に進歩したことによって、産婦人科疾患の診断方法が劇的に変化したのではないかと思います。


それまでは、「分娩が始まって大出血が起こって初めて前置胎盤がわかった」「お産の時に初めて双子だとわかった」なんて時代でしたから。


子宮筋腫も双合診と貧血の状況を見ながら、手術をするか保存的に様子をみるか、そのあたりが医師のさじ加減だったのではないかと思いますし、「手術をしてみたら予想以上に大きかった」というのも、その当時としてはごく普通のことだったと思います。
そのあたりが、うまくご本人に伝わらなかったのでしょうか。


<1980年代初頭の「女らしさ」に対する社会の意識>


平成26年版の内閣府の「少子化社会対策白書」の「3. 婚姻・出産の状況」に「平均初婚年齢と母親の平均出生時年齢の年次推移」があります。



それによれば、1980年の「第一子出生時の母親の平均年齢」は26.4歳、「第二子出生時」が28.7歳、「第三子出生時」が30.6歳に対して、2012年ではそれぞれ30.3歳、32.1歳、33.3歳となっています。


その出産年齢の変化に関しては、こちらの記事の「30代初産が増え始めた時代」に書きましたが、1980年代初頭ではまだまだ30代は「産み終えた年代」という感覚だった印象です。


現在の30代女性には想像もつかない程、1980年代初頭の30代女性にとっては「もう妊娠する可能性がない」ことに直面していたのではないかと思います。
生物学的には可能だとしても、社会的には「その年で妊娠・出産なんてあり得ない」という雰囲気があったのだと思います。
40歳前後の出産に対しては、「恥じかきっ子」なんて侮蔑の言葉もまだ生きていましたからね。



平均寿命がどんどんと伸びているなかで、産み終えた後の人生が長くなっていく時代を初めて体験しているわけで、その気持ちはその年代の女性たちにしかわからないのかもしれません。


現在のように10代で産む方もいれば、40歳前後で初めての出産の方もいるという幅のある時代が到来するとは夢にも思わない時代でした。


その看護師の言葉はたしかに配慮がなかったと思いますが、当時の社会の認識はそうだったのだろうなと思います。
「女」とは「妊娠・出産できるかどうか」と同義語だったのでしょう。


こうして少しその時代背景を想像してみただけで、この投書に綴られている女性の気持ちはもっと別のところにあるように見えてきます。


それを、「頼りない医師」「心ない看護師」の話としたかったのは、新聞社側の編集意図なのでしょうか。
個人の経験や気持ちからある職種全体の話のように一般化され、そして時代背景が違うのにまるで現代に通じているかのような編集で、何か無理があるように感じました。





「事実とは何か」まとめはこちら