「私」が「私」であることをどうやって証明するのか。
それまでほとんど考えたこともなかったことに漠然とした不安を持ったのは、初めてパスポートをとった時でした。
その時は友人との数日の海外旅行だったので、途中でパスポートをなくしてもまあなんとかなるかと、その漠然とした不安を直視するのをやめたのかもしれません。
次に難民キャンプで働く事になった時も、パスポートを失くさないようにしなければという緊張感は多少ありましたが、万が一の時には勤務先の上司や同僚が「私」であることを証明してくれるだろうと思っていました。
1990年代に一人で東南アジアの友人のところに1年ほど滞在した時には、万が一パスポートを紛失した時にも「私」であることの証明に少しでも役立ったらと考えて、大使館に長期滞在届けを出しました。
そしてパスポートのコピーを数部とって、荷物の中に分散しておきました。
国境を出ただけで「私」はどこの某かをどうやって証明する必要がある緊張感というもの、それは難民になった場合に、もっとも大変なことのひとつでもありました。
難民キャンプのスタッフとして働いている時には、難民の人たちの気持ちを思いつつ、私自身はまだ守られていることがたくさんありました。
ひとりで国境を越えた時に初めて、自分を証明するものの不確かさについて難民の人たちの気持ちに近づいたのでした。
<国内で自分を証明するもの>
国内で身分証明書としてして使っているのは、30年も運転していないのに持っている運転免許証です。
写真がついていることと手軽に持ち歩けるカードであることで重宝しています。
パスポートも海外渡航予定がなくても更新するつもりです。
あれはちょっと携帯には不便なのですが、国際的に通用する「自分の証明」として持っておこうと思っています。
他には健康保険被保険者証が身分証明としては一般的ですが、Wikipediaの身分証明書をみると多種多様なものがあるのですね。
この中で他に、私が使えると言えば年金手帳と住民票の写しぐらいです。
特殊な免許も身分証明になるようですが、医療従事者の免許は該当しないようですね。
<医療従事者の免許の「自分の証明」>
私が持っている看護師と助産師それぞれの免許証は、賞状の大きさの紙です。
持ち運びにも不便で、卒業証書入れの筒に丸めて保管していますが、引っ越しの多かった私は紛失するのではないかとドキドキしていました。
紛失した際の再交付の手続きも検索してみるとそれほど難しそうではないのですが、自治体側はどのような手順で「私」がその免許を紛失した「私」であると認めるのでしょうか。
私が看護職になった30年も前から、医療従事者の免許も写真入りのIDカードになったらいいのにという声はあるのですけれど、なかなか変わらないですね。
写真入りのIDカードになれば身分証明書としても通用して便利そうですが。
<本籍は何を証明しているのだろう>
親が家をたてて10年ぐらいしてから、本籍をその地に移しました。
それを私に知らせてくれなかったので、思わぬトラブルがありました。
それは看護師・助産師の免許証の本籍地の変更届けが遅れてしまったことでした。規定の30日以内にできず、知ったのは半年以上もたってからでした。
相談に行った保健センターで「遅れた理由と厚生労働大臣あてに謝罪の一筆を書いてください」と言われ、とほほな気分で手続きをしました。
そしてしばらくして、本籍地が変更された新しい免許証が交付されました。
本籍は何を証明しているのだろうと、当時図書館で調べてみたのですが、私には理解を超えている制度で、今だによくわかりません。
本籍は国内(領有権を主張しているものの実行支配の及ばない地域も含む)ならどこでもよく、変更も自由である。現行制度では「戸籍が所属する場所」以上の意味はないが、代々の本籍がら安易に変更しない人もいる。
またその戸籍の筆頭者についての説明は以下のようです。
戸籍の最初に記載されている人物のこと。夫婦の戸籍では結婚時に苗字が変わらなかった側の人物である。住民票における世帯主と違い、生計を支えている人物である必要や、生きている人物である必要はなく、0歳児でもよい。
へえーー。
親の家の場合、更地にして地主に返したとしたら、両親にとってはなんだか宙ぶらりんの「本籍地」になることへの不安があるのかもしれません。
どこに住んでいるかという住民登録なら入所している介護施設に移せばよいだけのことですが、この「本籍」をどうするかというあたりが、ヤドカリのように簡単に家だけを変えられない理由になっているのではないでしょうか。
「空き家」の問題も、もしかしたらそこに「本籍」があることが自分の証明になっているような気持ちの問題もあるのではないかと、母親をみていると思えるのです。