思い込みと妄想 11 <社会の問題を単純化させるネーミングに注意>

NHK空き家の番組から、次々と考える事が出て来たのでもう少しこの話題が続きます。


その番組の中で、東洋大学の野澤千絵氏が日本の都市計画の緩さを「焼き畑的都市計画」であると発言されていました。


私は10代の頃から、小田急線、田園都市線東急東横線をよく利用しているのですが、その沿線の田畑や雑木林、そしてさらには丘陵地帯がどんどん宅地開発されて、これでもかというほどぎっしりと住宅が開発されてきました。
家や街のデザインをみるだけで何年代の頃のものかがだいたい見当がつきますが、1980年代頃に作られた家や街は空き家が増えて閑散とし始めていて、その周辺には新しい住宅地が開発されて行く様子がよくわかります。


「焼き畑的・・・なるほど」と納得しそうになって、このわかりやすさに注意が必要と思ったのでした。


<「焼き畑農業的土地開発」に定義はあるのか>


「焼き畑農業的土地開発」というのは学術用語的なものなのかと思って検索しましたが、2004年に国土交通省東北地方整備局が開いた「中心市街地再生に向けた取り組みについて」という意見交換会の記録の中で使われている部分しかみつかりませんでした。

私の友人が編集している本で、『ファースト風土化する日本』*という本が洋泉社から出ています。私が長いこと追いかけてきたのは、例えばそれぞれのまち、地域の不動産を法制局に聞きまして、土地台帳をつくって、町丁ごとに土地がどのように所有、誰が移転したり、分割したり、その所有権が相続なのか、売買なのかをおいかけてきました。
わかったことは郊外居住で一代限りの住宅地供給という様相になりつつあることです。これをある都市計画の専門家は焼き畑農業的土地開発と言っています。
焼き畑農業的土地開発をし、しかもそれが鉄道等のインフラがない丘陵地のようなところを目指しています。鉄道沿線が一方では無人駅化する、一方では交通対策のために道路建設を進めないといけない、インフラの整備をあれもこれも全部やっていて、これは高度経済成長の時に許されたわけです。
(*原題は「ファスト風土化する日本」)

鈴木浩氏(福島大学教授、当時)の内容はたしかにそうだろうと思うのですが、それを「焼き畑農業的土地開発」というのは少し違うような気がしますし、その用語自体が専門用語でもなさそうです。


<焼き畑農業・・・持続可能なもの>


Wikipedia焼き畑農業の「現状」では以下のように説明されています。

熱帯の気候に適した農法で、区画を定めて焼き畑を行い、栽培が終わると他の区画へと移動する。伝統的焼き畑農業は元の区画条件にもよるが10年以上の休耕期間をおく持続可能的なものである。


私も1990年代に少数民族の集落に滞在しながら、この焼き畑農業を実際に見て話しを聞く機会がありました。
私から見ると広大な土地がそのままになっているように見えたのですが、必要以上には開墾せず、そして一度収穫を終えた土地は休ませるというシステムで、決して土地を使い捨てにしたり放置しているのではないことを知りました。


そして現在も焼き畑農業を行っている人たちの全てではないのですが、「土地は神から借りているものに過ぎない。土地を個人が所有することは考えられない」という考え方が基本になっている人たちもいます。


環境問題や先住民問題では焼き畑的農業とは「持続可能」であり、伝統的社会を継続させるシステムとみなされている訳ですから、それを都市計画のニュアンスとして使うと全く意味が違うイメージだけが広がっていくように思います。


<ネーミングは思い込みを広げやすい>


数年前まで毎週図書館で本をたくさん借りていた活字中毒の私ですが、この「ファスト風土化する日本」の著者、三浦展氏の本もけっこう読みました。


図書館にいくと、全てのジャンルを一巡しながら目についた本を借りていました。
自分の専門外の分野の本であれば、やはり読みやすそうな題名から本を手にしやすいものです。
そういう意味では、三浦氏の本というのは目を引くネーミングが多く、つい読みたいと思いますし、読んで理解できた気持ちになりやすかったと思います。


「焼き畑農業的土地開発」を誰が使い始めたのかはわかりませんが、「ファスト風土化」について以下のように説明があります。

ファスト風土化とは、評論家の三浦展が導入した概念。地方の郊外化の波によって日本の風景が均一化し、地域の独自性が失われていくことを、その象徴であるファストフードにたとえてファスト風土と読んだ。


そしてそれに対して「一面的」「思い込みで展開されている」「現代社会の要請によって新たに出現した文化/環境であり、それによってネガティブな印象を受けるのは現代人の自己嫌悪の表れ」といった批判があるのは当然かもしれません。


「社会が求めているわかりやすい答えとして妄想話ができあがる」で書いた「結論を急ぎすぎた野心的研究課題」や、「お産トラウマというNHKの造語」のように、社会の問題を単純化させるネーミングには注意が必要だと思います。


そしてどの分野でも、あまり理論化を急がないほうがよいのではないかと思います。





「思い込みと妄想」まとめはこちら