行間を読む 74 <「東京の公園の歴史を歩く」>

8月初旬に、日比谷公園の森と水の市民カレッジ神田上水と小石川後楽園についての展示があったので見にいきました。


その時に見つけたのが「東京の公園の歴史を歩く」(小野良平氏東京都公園協会、2016年)で、ここ数年、散歩をしながら公園が気になっていたので迷わず購入しました。


小石川後楽園のように大名屋敷などを庭園にして開放した広大な公園もあれば、住宅地で空き地ができたところにポツンとベンチがあって木が数本植わっているぐらいの小さな公園もあります。
日本における近現代公園史を読むと、ひとくちに公園といってもさまざまな種類があって、その歴史は私にとっては漠然としたイメージのままでした。


<「都市の肺」として始まった議論>


「都市の肺」。
初めて目にした表現でしたが、これが明治維新後の公園の考え方の始まりであったことが、第1章に書かれていました。


東京を「近代の首都にふさわしい形に変えていこうという計画が構想」され、「その一つに公園にあたる『遊園』の議論が始まった」とあり、以下のように書かれていました。

その背景には、東京をパリのように、という都市の美観への願望などもあったが、実際には内務省衛生局長が検討作業を進め、遊園は「都市の肺」として公衆衛生の側面から特に注目されて配置計画などが練られた。まとまった計画としてできあがるのが明治21年(1888)のことで、途中で遊園は公園という呼び名となり、計49カ所、約330haの公園が計画された。

具体的に「公衆衛生の側面」について続けて書かれています。

その計画は都市部を中心に公園を分散させて配置させるもので、明治初頭の公園の誕生の際にはまだなかった、公園を都市計画の中で考えるという現在にも続く公園論がここに始まる。

ただしその配置の考え方は、公衆衛生という観点から排水状態の悪いような土地を選ぶなど、「瘴気論」というその後科学的には否定されるコレラ等の伝染病の要因説に基づいて土地を乾燥・浄化しようとするものであった。欧米の都市を含めて19世紀に公衆衛生のために上下水道の整備が進んだのもこの瘴気論に基づいており、今ならトンデモ科学とされるようなものが現実の社会を変えていったことは興味深い。またあわせて公園には小学校の校庭不足に対処するアイデアもあり、これは後の関東大震災後の復興公園で徹底されるが、その先駆けが見られる。


私がイメージしていた公園の議論とはちょっとかけ離れていて、疾病予防に視点が置かれていたことを知りました。
都内には大小さまざまな公園が作られ、防災をはじめとした機能も増えて整備も行き届いているように見えますが、わずか一世紀ほどの間の変化であることが改めてわかります。


<「はじめに」より>


散歩をしていると、必ず公園があります。
どうしてここに公園があるのだろうといつも気になるのですが、この本の「はじめに」には、そのなんとなく気になっていたことが見事に言葉で表現されていましたのでご紹介したいと思いました。


 公園とは何かは一口には語れませんが、一つの説明として、都市の中の都市らしくない場所が公園だということができます。
緑や水に富んだそのような場所は、かつては開発の狭間に残された土地であることも珍しくありませんでしたが、土地を有効に使い利益を上げることに傾注してきた現代都市では、努力なしには得られない存在となっています。公園が遊び場であるのと同様に、公園の存在自体が都市の中のあそび/ゆとり的空間というわけですが、私たちが目先のことに追われがちであるのに似て、都市がこのゆとりを意識的に確保することはなかなか高度な文化であるといえ、ともするとその意義は見過ごされがちです。

 この本はそうした公園の価値について、東京の都立公園を中心にその歩みを辿りながら考えてみたものです。その視点の一つは「歴史」です。世に公園に関する情報は少なくないですが、多くは見どころや楽しみ方の案内で、その歴史について紹介されることは少ないようです。ここでは、都市のゆとりとしての公園緑地が、時代時代でどのような考えのもとに生まれてきたのかに触れることを一つのねらいとしました。

 さらなる視点はタイトルにもある「歩く」です。個々の公園には固有の土地・自然があります。公園の特性は、土地が選ばれその自然や土地柄を活かす働きかけが積み重なった歴史が生み出したものですので、各公園を実際に歩いてその魅力を考えることを心がけました。本書もまた一つの公園案内として活用いただき、公園のようなものにも先人のいろんな思いが込められていることを、歩くことを通して感じていただければ幸いです。

簡潔で、それでいて「公園」の全体を網羅した文章で、それは長い間、「公園」をあらゆる視点から見て考え、言葉を積み重ねて来られた専門家だからこその文章なのかもしれません。




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