「優しい人とは」

父が入院している認知症専門病院は、病院に入ってから出るまで、スタッフの方々がいつも温かく声をかけてくださいます。


いつも玄関に案内の方がいらっしゃってドアをあけて迎え入れてくれ、そして帰るときもドアのところまで見送ってくださるのです。
また面会の用紙を記入する際も、受付の方がどの方も穏やかに挨拶をしてくださいます。


おそらく職員への患者さんやご家族への対応についての研修や教育が行き届いているのだろうとおもいます。
ただ、「サービス・接遇が医療に取り込まれた時代」のような「顧客満足の創造」とか「マーケテイング」ということではなく、認知症になったかたとその家族の悲嘆や絶望感をすこしでも受け止めましょうという気持ちが伝わってくるのです。


おそらく、足が遠のきそうになる家族に「また面会に来よう」と思わせるのではないかと思います。


その病棟の中に「優しい人とは」という詩のようなものが貼ってあります。

優しい人とは


高齢者を頑張ろうと思わせるような接し方をしてくれる人


高齢者が願っていたこと、現在も願っていること、あきらめていたことなどの実現に協力できる人


高齢者を尊敬されるような人、人の役に立てるような人にしてくれる人


生きていくための力、勇気、理由などを持たせてくれる人


昔の出来ごとを幸福な出来ごとにしてくれる人


心の傷を修復してくれる人


不安、寂しさ、恐れなどを取り除いてくれる人


変化のある生活をさせてくれる人、


注意、命令、文句、叱責、愚痴、嫌味などを言わない人


できないことをさせて恥をかかせない人


認知症高齢者の未来、現在、過去を一緒に作ってくれる人、一緒に行動してくれる人


私は思春期の頃から考え方の違いから父と距離を置きはじめ、30代の頃にはその思想に対して嫌悪の思いが強くなりました。
当時は、将来父の介護をすることになることに正直なところ苦痛と不安だけがありました。


それなのに、父が認知症になってから私の気持ちは大きく変わりました。


「父のことをほとんど何も知らなかった」のだということに気づきました。
何を考え、何を感じて生きて来たのだろう。
知りたいと思った時には、もう父からは聞く事ができませんでした。
後悔ばかりです。


父を否定してきた分、今はとくに「昔の出来ごとを幸福な出来ごとにしてくれる人」に徹したいと思っています。



もちろん「優しい人は」というのは理想ですから、毎日父の身の回りを世話をしてくださるスタッフの方々にとって、現実というのは試行錯誤と日々の反省や後悔が山積みなのでしょう。
介護の現場も医療と同様に人手不足ですから、理想と現実の乖離はあると思います。


私も父の直接的なケアは施設にお任せしているので、面会という心身ともに余裕がある状況だから父に優しく接する事ができていることもあります。
一緒に暮らしていたら、この「優しい人とは」とは正反対のことをし続けてしまう可能性があります。


残された父の時間は、少しでも心穏やかな時間であってほしいと思っています。


その人が人生を全うするために大事なことがこうして明文化されたことは、高齢化社会が始まってわずかこの半世紀ほど中での大きな一歩なのかもしれません。