記憶についてのあれこれ 50 <改札の変化>

先日、父の面会に行く時に改札口のところでPASMOを忘れたことに気づきました。


最近は毎日の通勤や外出も自動改札機にピッとタッチするだけですが、そういえば少し前まえまでは紙の切符やプリペイドカードの時代だったのだなあと、あれこれと回想の世界に浸り、またブログの記事がひとつできあがりました。


<人の手による改札の時代>


父の面会の交通費を節約するために、時間がかかっても私鉄とJRの在来線を乗り継いでいるのですが、JRの駅はまだ自動改札機がない駅を通過しています。


券売機で購入した切符に、駅員さんが赤いスタンプを端に押してくれます。そのインクが手につかないように受け取るのも、少しコツがいります。
降りる駅には自動改札機があるので、もちろん切符の裏には磁気情報を入れられるような黒い色がついています。


そういえば、子どもの頃はまだこの切符を売ることも改札もすべて人の手だったと懐かしくなりました。


駅にはあれはなんと言うのでしょうか、その駅から目的駅ごとの切符がずらっと並んでいて、「○○駅まで」というと駅員さんがそこからピッと抜き取って渡してくれました。
今よりはもっと厚い紙の切符でした。


改札口は駅員さんが立っていて、「カチャカチャ」といつも鋏(「改札鋏」というのですね)を鳴らしていて、切符の端に切り込みを入れていました。
すごい速さで切符を切る様子に、手を痛めないか心配になったものです。
そして切符を切るだけでなく、定期の期限切れや不正乗車を素早く見つけていました。
あれは超人的な仕事だと、今でも思います。


改札口周辺には、いつも小さな紙片が飛んでいました。
あの絶え間のない人ごみの中、いつどのように掃除をしていたのでしょうか。


たしか私鉄が自動改札機に変わっても、1980年代のJR新宿駅ではまだ人の手による改札だった記憶があるのですが、1980年代というのは人の手から機械へと駅の改札の風景が大きく変化した10年でした。


<人の手から機械へ>


1970年代終わりに都内の看護学校に入学した頃には地下鉄を利用していましたが、すでに自動券売機になっていました。Wikipedia自動券売機を読むと、券売機が機械化されてまもない時期だったようです。


最初はボタン式で、いつのまにかタッチパネルになっていました。


また1970年代終わり頃から1980年代前半までは、現金、しかも硬貨で切符を1枚ずつ購入する方法が主流だった記憶があります。
その硬貨も今のようにジャラジャラと一斉には入れられなくて、一枚一枚機械に入れる必要がありました。


1980年代半ばに東南アジアで2年間暮らして帰国した時には、オレンジカードというプリペイドカードがあってびっくりしました。
あれは1985年に発売されたようですね。
この頃から、小銭を気にせずにプリペイドカードで切符を購入できるようになり便利になりました。


Wikipedia自動改札機を読むと都内の私鉄は1970年代から自動改札を導入していたようで、私がよく利用していた地下鉄もそうでした。JRのほうが上で書いたようにまだ駅員さんが改札に立っていた時期があったので、私鉄の駅の雰囲気と違いました。


ICカード化と相互乗り入れへ>


父の面会に行く際に二つの私鉄を乗り継ぐのですが、それは駅構内で乗り換えられるのでPASMOで精算できます。
次に乗るJRは東日本ではないのでPASMOが使えず、現金が必要です。
ところが、実家近くの路線バスはなぜかPASMOが使えるのです。


別のJRもPASMOが使えると便利なのに・・・と思いつつ、自動改札機も600万から1500万円もするとなると簡単にとはいかないのかもしれませんね。


今は当たり前に私鉄やJRも関係なく使えるこうしたICカードですが、そうそうこちらはJRから2001年にでたSuicaのほうが早かったですね。


なんだかずいぶん昔からパスモを使っているような気になっていましたが、まだ10年と少しなのですね。



久しぶりに小銭で切符を買い、降りた駅で精算し、切符を自動改札機に入れて通過することをしました。
「わあ、これだけで2〜3分の時間のロスになる」とすごくあせりました。
通勤の時でなくてよかった、と。


思えば便利になったものです。






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