境界線のあれこれ 57  <人工的な味と自然療法>

住んでいた東南アジアのあの国でなぜあれだけコカ・コーラが広がったのか気になっていたので、図書館で見つけた「コカ・コーラ帝国の興亡」(マーク・ペンダグラスト著、1993年、徳間書房)を借りて読んだ記憶があります。
1990年代半ば頃でした。


読んで記憶に残ったのは、コカ・コーラアメリカの禁酒法をきっかけに広がったことと、第二次世界大戦では米軍の兵士向けに販売活路を見いだして広がったということでした。


Wikipedia「ザ・コカ・コーラ・カンパニー」を読むと、禁酒法より前に「自然療法の薬」として作られていることが書かれています。


 19世紀末期のアメリカでは、医者不足から代替医療殊に自然療法や万能薬が広く庶民に受け入れられ、自然療法医や薬剤師は自らの治療法や薬剤の売り込みに躍起になっていた。
 その一方で、1867年に人工的な炭酸水の製造法が発明されると、当時は何らかの効能があると思われていた炭酸水を客の注文に応じて調合して飲ませるソーダ・ファウンテンが薬局に併設されるようになった。当然薬効を謳うものも多く、万能薬同様に売り込み競争が激しかった。

 その自然療法家の一人に、ジョージア州アトランタを拠点に活動するジョン・S・ペンバートンがいた。南北戦争で負傷したペンダートンはモルヒネ中毒になっており、中毒を治すものとして当初注目され始めたコカインを使った薬用酒の開発を思いついた。この類いの薬用酒にはすでに類似品が多く出回っていたので、ベンパートンはワインにコカインとコーラのエキスを調合したフレンチ・ワイン・コカを精力増強や頭痛の緩和に効果のある薬用酒をして1885年から売り出した。


コカ・コーラの「コカ」がコカインから来ていることはなんとなく社会に広がっていて、それも「体に悪そう」というイメージがついてまとったのかもしれません。
開発された当初は本当にコカインが入っていたが現在は入っていない(というよりは入れられるわけがない)、とようやく確信できたのが冒頭の本を読んだ時でした。


 フレンチ・ワイン・コカは「ドープ(dope=麻薬)」という渾名で人気を博したが、やがてコカイン中毒が問題になるとともに、禁酒運動の席巻によりフレンチ・ワイン・コカが売れなくなる恐れがでてきた。そこでワインに代えて炭酸水の風味付けのシロップとして売り出すことにして、ペンバートンのビジネスに参画した印刷業者のフランク・M・ロビンソンによってコカ・コーラと名づけられた。このコーラは1886年5月8日に発売されている。

現代人が「人工的な味」「不健康そうな飲み物」と感じるコカ・コーラは自然療法の「薬」として考えられたというのも、1世紀の長さの社会や人の心の変化として興味深いですね。


そして気持ちの部分で反応して、食品添加物への根拠のない不安フードファデイズムを生み出す状況は、繰り返し繰り返しこれからも出てくるのでしょう。


それにしてもリンク先の「アメリカ合衆国禁酒法」に書かれている禁酒運動の広がりは、こちらこちらで書いたような、アメリカの市民運動の中にある「われこそは正義」を感じますね。


いえ、批判というよりは自分自身が「世の中を良くしなければ」と昂揚感に浸っていた頃を思い出して、でもコカ・コーラは大好きで・・・というアンバランスさを思い出して赤面しているのです。


ということで、私のコカ・コーラ物語はお・し・ま・い。




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