海辺でみかけるテトラポットが登録商標であり、一般名は「波消(なみけし)ブロック」あるいは「消波(しょうは)ブロック」であることを知ったのは、1990年代半ばのことでした。
村井吉敬(よしのり)氏とその研究仲間の方たちと、あちこちのダムや公共事業の現場を見に行ったことは、こちらやこちらそしてこちらの記事に書きました。
村井さんは、「当事者」に直接会って話をまず聴く、そんな方でした。
八ッ場ダム建設予定地を訪れた時には、建設省(当時)の現地事務所にも行って話を聞いた記憶があります。
このときも建設省の役人に対して、批判的な姿勢ではなくいくつか質問をされていたのが印象的でした。
私にとって「当事者」は「長い移転問題に翻弄され、ダムに沈む村の人たち」であり、自分が作り出したイメージで感情が先立っていたのですが、相変わらず、どの立場の「当事者」の方に対してもとつとつと相手の話しを引き出す村井さんでした。
そんな頃、テトラポッドを作っている会社に話を聴きに行ったことがありました。
その時にテトラポッドが登録商標であることを知ったのです。
1990年代に入ると、国内での環境問題や公共事業への関心が高まっていました。
日本のあちこちの海岸線を埋め尽くしているかのような波消しブロックは「無駄な公共事業のひとつではないか」、そしてそれをまた途上国援助として海外に広げることになるのではないか、そんなことを村井さんは危惧されていたのかもしれません。
<消波ブロックとは>
Wikipediaの消波ブロックでは、以下のように書かれています。
外海に面した地域では、水深が浅くなる海岸近くに於いて波の影響により海岸線が浸食されることがある。特に戦後は日本全土の水系に大量のダムが建造されたため、河川から河口や海岸線への土砂の流出と堆積が極端に少なくなり、著しい海岸浸食が発生している。さらに海岸線近くにまで建造物が建てられていることが多く、一層海岸線の浸食を防ぐ必要がある。
このため、海岸沿いに多数の大型ブロックをかみ合わせて並べることで、波のエネルギーを減衰・消散させる目的で設置される。設置される場所は海岸線の他、離岸堤(人工の離水海岸)として沖合に設置されることもある。
1990年代のダム建設への批判の中で、日本の河川にはダムがない川が四万十川の支流ぐらいしかないと言われていた記憶があります。
それほどあちこちに「無駄なダム」をつくり、結果、海岸浸食を招いたのではないか。そしてその浸食を防ぐ為に、今度は大量のコンクリートを使って護岸工事やテトラポッドを埋めているのではないかという点も批判としてありました。
そこで、村井さんはそれをつくり埋める側の当事者に話を聞きにいくことにしたのでした。
会社を訪問すると、スライドや様々な資料を準備して説明をしてくださいました。
今でこそ「消波ブロック」とか「海岸浸食」と検索すればたくさんの資料や知識を得ることができますが、当時は専門の大学の図書館などに行かなければそうした資料は得られませんでした。
テトラポッド社で受けた説明の詳細は忘れましたが、海岸浸食に関しては「そんな大変な状況にあるのか」「それだけ地道に調査が続けられているのか」という驚きに圧倒された記憶だけが残っています。
2012年に作られた宮崎県の「宮崎海岸」という資料がわかりやすいと思いました。
台風が来るたびに砂浜が消失し、波が背後にある道路まで迫ることもあります。
・・・つまり色々な視点からバランスのとれた方法を考えなくてはいけません。「ダムや港などは国民の暮らしを支えており、海岸のためだけになくすことはできません」
そして、「なくなった砂浜を回復するため、いろいろな人の思いがあります」として、「市民の思い」「専門家の思い」「行政の思い」があげられています。
こういう冷静な視点で時間をかけながら議論を築き上げていくことが、社会のどのような問題でも、半世紀後、1世紀後とよい遺産を残して行ける方法かもしれません。
「水のあれこれ」まとめはこちら。