境界線のあれこれ 77 <薬と毒とファンタジー>

今年の夏の課題図書である「水草を科学する」(田中法生氏著、2012年、ベル出版)を読み、その「水草展」にも出かけ、池や川辺で水草を眺める日が続いています。
水の中で生きる植物の不思議な世界が目の前にいつもあったのに、何も気にしないできたことを悔やんでいます。


そして初学者にも入りやすく書かれた本が手に入るのも、良い時代だと思いました。
でも、やはり専門的な内容が多いので、専門用語でつまずきながらけっこう読むのには時間がかかりました。
そんな時に、「水草展」で映像や写真、そして実物を観る機会があって、理解の助けになりました。


ただ、その「水草を科学する」の中で、一カ所、「第5章 人間の生活と水草」の「2 人間が利用する水草」に書かれている「薬になる水草」(p.214〜)が気になりました。


「植物に含まれる薬用成分は、今もなお研究対象であるほど、多様で未知の可能性を秘めています。ここでは薬用になることが知られている水草を紹介します。」として、以下のように「ハス」が紹介されていました。

果実は蓮実(蓮子)として、滋養強壮。種子は、蓮肉として、滋養強壮。花托は蓮房として止血、駆瘀血(くおけつ)。根茎の節部は、藕節として止血、駆瘀血。蓮根(藕)は止血、駆瘀血。葉は、荷葉として、暑気を解き、止血の作用があり、浮腫、めまいなどに用いられています。


たしかにの記事を書く時に、Wikipediaでも蓮の効能が書かれていていました。
助産院で「止血作用があるから」とレンコンジュースを飲ませた助産師がいたこととつながったのでした。



<「効果がある」に弱い>



上記の「ハスの薬効」の中で、医学用語として私が理解できるのは「止血」「浮腫」「めまい」だけです。
それ以外の「滋養強壮」「駆瘀血」「暑気」は、日常の会話としてはなんとなくわかるのですが、それが医学的にどのようなことかと問われると答えられない概念です。
また、ここで使われている「止血」も、私が学んだ「止血」とは異なる意味かもしれません。


出血には様々な機序があって、それに応じた止血方法が医学の中ではわかってきていますから、止血方法を間違えれば害になることもあります。
たとえば、産科的な出血でも使ってよい「止血剤」と使わない方がよい「止血剤」もありますし、状況によってはまず輸血を考えた対応が必要になります。


産科医のいない助産所での分娩で「止血しなければいけない状況」というのは出血多量でしょうから、たとえレンコンに止血作用があったとしても「レンコンジュースで予防」したり対応できるような悠長なものではないので、私からすれば「何を馬鹿なことを言う助産師がいるのか」と恥ずかしい話です。


ただ、やはり「効果がある」「効能がある」話に、人は弱いのかもしれません。


<薬にもなれば毒にもなる>


看護学校で初めて「薬理学」を学んだ時に、医療従事者にしか使うことを許されていない薬があること、それは市販の薬とは一線が引かれていることを初めて知りました。
そして、「薬」には普通の医薬品以外に「毒薬」「劇薬」があって、厳重な管理が必要であることも知りました。


薬というのは量と使い方を間違えれば、患者さんに致死的な毒となるものを使う仕事なのだと、緊張感をもって授業を聴いた記憶があります。


もちろん、医薬品でなくても毒になる植物は身の回りにたくさんあります。
これからシーズンになるきのこ類での事故や、水仙とニラを間違えて食べて亡くなるニュースは毎年繰り返されています。


また、たしかに毒だけでなく薬になる成分を含んだ植物も身近にあります。
キチガイナスビと呼ばれているチョウセンアサガオは、硫酸アトロピンという薬の原料だったようです。


少し口に入れただけで体に作用する植物もあれば、もしレンコンに止血作用のある物質が含まれていたとしてもどれだけレンコンを食べたらその効果が得られるのだろうと思うほど、微量である可能性もあります。


今後、レンコンから止血作用のある物質が見つかって医療に大いに貢献する可能性もあるかもしれません。
ただ、その場合には「駆瘀血」といった東洋医学的な表現は使われなくなることでしょう。


19世紀から20世紀にかけて、その微量な量まで正確にわかるようになった「量の概念」によって、代替療法から現代医学へと一気に変化したのだろうと思います。


そのあたりの認識がついていかないと、「西洋医学東洋医学」「近代医学と代替療法」という対立した概念のまま治療効果を受け止めやすく、ホメオパシーとかさまざまな代替療法のファンタジーへと引き込まれて行くのかもしれません。


この「量の概念」もニセ科学の議論で初めて聴いた言葉ですが、助産師に広がったホメオパシーの問題も、「どれだけ希釈されているのか」と少し立ち止まって考えることができれば広がることはなかったことでしょう。


そして「○○を食べれば効果がある」という話には、「効果が認められれば、日本であれば医療として認められて保険適応の薬品になる」「そうでないものは、通常に食べる量であれば気休め程度」ぐらいに思うことで、あやしいファンタジーや万能感とは距離を置くことができるのではないかと思います。


まあ、数字に弱い私が言っても説得力はないのですけれど。



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