水のあれこれ 26 <水とモスク>

ドキュメンタリーの中でも、風景を描いた紀行ドキュメンタリーは特に好きです。
NHKの夜中にナレーションもない風景だけを流している番組や、土日の朝に放送している「小さな旅シリーズ」や「さわやか自然百景」はできるだけ録画して観ています。


その中でも、水辺の風景や漁村が出てくると一気に気持ちが引き込まれます。
そしてまた東南アジアでの情景の回想になり、ブログの記事になっていくのですが。


私が住んでいた地域は、少数民族イスラム教徒が多い地域でした。
私が居候させてもらった家族はイスラム教だったので、そのつてであちこちのイスラム教徒が住む地域をまわることができました。


モスクがあり、一日5回の礼拝の前にアザーンが流れ、礼拝を中心に時間がながれていく感じです。


そしてかかせないのが、礼拝の前に体を清めるウドウーのための水でした。
モスクには必ず水で清める場所が作られています。
日本の神社の手水舎と同じですね。


モスクには水が欠かせないので、その地域では川や湖のほとりに建てられていることが多いようでした。


<湖のほとりのモスク>


その地域の数々のモスクを見せてもらった中で一番好きな風景は、標高の高いところにある湖のほとりに建てられたモスクです。


今でもその光景を思い出すだけで、生きている間にもう一度行ってみたいなあと郷愁にかられます。
でもそこへ行くだけでも日本からは2〜3日はかかりますし、今も治安がよくないので簡単には行く事ができません。
近いようで遠い、東南アジアの一地域です。


さて、どうしてそのモスクを尋ねたかというと、湖から海へと流れる急峻な川に作られた数カ所のダムを見に行くためでした。
そのダムによって湖の水位が変わってしまい、湖畔のある地域では浸水し反対側では渇水するなど生活に大きな影響が出ているとのことで、友人の研究者とともに訪れたのでした。



彼女はイスラム教徒ではなかったのですが、その地域の大学で経済開発が少数民族イスラム教徒に与える影響を研究をしていました。


湖での漁で生計を立てている家族の家に泊まらせてもらいました。
湖の水上に高床式の家が建てられていました。
夜になって床に雑魚寝で寝ようとしたら、床の下から静かな静かな湖の波の音が聞こえていつの間にか心地よい眠りにおちていったのでした。


その家がある集落は浸水の被害があって、湖近くの畑がだめになってしまったということでした。


ダムは発電のためのダムでした。
下流の海沿いに大きな工場が建設され、主に日本向けの製品が作られていました。
その工場に電力を供給するためのダムが、アジア開発銀行などの融資で建設されたのが1970年代のことです。


ダム建設の計画も知らされないまま、議論に参加する機会もないまま、当時の内戦状態の中で次々とダムが建設されたのでした。


その後、湖畔に建っていたはずのモスクの周囲から水がなくなったり、反対に浸水したり、「何かがおかしい」と感じてダムの影響について地元で調べるようになるまで、十数年の時間が必要でした。


高床式のその漁師の家の周辺にも一応電気は通っていましたが、「高くて使わない」と言っていました。


日本なら各家庭に電気メーターが設置されていて、各家庭で使っただけの電気量に対して支払うのは当然のことです。
ところが、その地域ではその電気メーターは電力会社側が設置するのではなく、電気を使う側がメーターを購入しなければならないそうです。
各家庭で購入する経済的な余裕がないので、村でメーターを共有し、住民で均等に割って支払うシステムなので、私が泊まらせてもらった家は電気を使うことをあきらめたとのことでした。


夜はランプの明かりと湖の波の音だけの静寂が私にはうれしかったのでしたが、発電のために環境を大きく変えさせられたのにその便利な電気を使いたくても使えない、なんとも不条理な状況でした。
そしてその背景に、日本の経済が影響していることにまたまた心を痛めたのでした。


あれから20年ほど経ちましたが、あの湖畔にモスクがある村はどんな変化をしているのでしょうか。
生きている間にもう一度行きたいと思うのは、あの風景を観たいという気持ちとともに、一度は問題意識を持って訪れた地域がその後どうなったのか、定点観測も自分の責任のうちのような気持ちがあるのです。





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