行間を読む 43  <景観と生活と>

昨日の記事で紹介したWikipedia「消波ブロック」の「景観上の議論」にこんなことが書いてあって、なるほど1990年代の公共事業についての市民運動にはこういう流れもあったのか、とその時代の雰囲気を思い返しています。


消波ブロックの設置は、独特の形状と色彩から日本の海岸の原風景である白砂青松を破壊するものとして批判が強い。またアレックス・カーは自著の『犬と鬼』で、日本に必要ない過剰な公共事業や、規制が不十分なことによる醜い景観の一例として電柱・看板・雑居ビルの塔屋、高速道路の高架、砂防ダムなどと同時に、日本の海岸線にある過剰な消波ブロックの存在を指摘している。
このような批判に対して、国土交通省は「美しい国づくり政策大綱」で「景観阻害要因になっている消波ブロックの除却」を掲げており、実際に静岡県の富士海岸を始めとして多くの海岸で消波ブロックを拡散して人工リーフを整備して砂浜を回復するなどの試みがなされ始めた。
ただし、海岸浸食や高波などの防災上との兼ね合いから、日本全土の消波ブロックを完全に撤去できるかどうかについては議論の余地がある。

たしかに日本の景観についてはいろいろと思うところがあります。


私が苦手なのは道路沿いや店の付近にあるあの幟(のぼり)や、それぞれの店舗で自由に作られた看板のたぐいです。
あれがなかったら街並みももっとすっきりしてみえるし、歩くのにも邪魔にならなくていいのに・・・と。
でもおそらくそのほうが活気があって好きという人のほうが多いから、できあがった景観なのでしょう。


あと、白いガードレールが延々と続いていたり、道路に様々な表示が白文字で書き込まれていることや、ポール類が埋め込まれているのも苦手です。


東南アジアで暮らした時に、その国の道路やハイウェイはただ舗装道路があり、その両側は街路樹や田園風景などが広がって、その景観を妨げるものは何もない開放感が好きでした。


その国では、市町村の中心部は植民地時代に建てられたヨーロッパ風の建物を中心に、家々は古かったりつぎはぎだらけの家も多いのですが、幟や看板の類いがないので、とても落ち着いた雰囲気に私には感じられました。



海外の風景を写真やテレビでよく目にするようになったのが小学生だった1970年代でしょうか。
同じ頃に日本は公害がひどくなり、駿河湾のヘドロや都内や工業地帯の大気汚染など、小学生にもその深刻さは理解できました。


今ではそんなことがあったとは信じられないのですが、製紙工場が海岸沿いに集中していた静岡県富士市周辺の大気汚染と駿河湾のヘドロの堆積はひどいものでした。
東名高速道路を走っていると、手前の沼津のあたりから空気がよどみ初めて、富士市を通過する時には視界が悪くなり窓を閉めていても悪臭が入って来た記憶があります。


日本の各地で、工業国化、先進国入りをめざすために景観が切り捨てられて行きました。


1980年代になると工業地帯周辺の環境対策によってまたきれいな空と水がとりもどされ、あの小学生の頃にみた真っ黒な空やよどんだ海が夢であったのかと思うほどになりました。


小学生の頃は突然の停電がまだ時々あったのですが、1970年代後半に入ると日常的な停電もなくなったような記憶があります。


そうなると勝手なもので、「早く丈夫な送電線ができて、停電しなくなるといいな」と思っていたものが、あの電信柱が邪魔に見えてきました。
ヨーロッパなどの美しい風景は、電信柱も電線もないことが理由のひとつだと思いました。


でも日本中の電線を地下に埋めるとなると莫大な予算と維持費がかかるでしょうから、現実には無理だろうと思っていましたが、先日、2020年の東京オリンピックまでに一部の電線が地中化されるというニュースを聞きました。
へえー、夢だと思っていたことがこんなに早く実現するものなのかと思いました。



さて、Wikipediaの引用文に紹介されているアレックス・カー氏を初めて知りましたが、1964年に12歳で来日して日本で生活をされていたこともあるようです。


ちょうど古い日本の風景が変わりつつある時代だったのではないかと思います。
各地で工業地帯が作られて行ったのが1960年代でした。


瀬戸内海沿岸にあった親戚の家に夏になると遊びに行っていました。
1960年代の水島工業地帯の開発とともに、年々、美しい海や空が失われて行くのを目の当たりにしました。


きっと日本に初めて来た時の風景が、年ごとに失われていくことが少年の心に深く残ったのではないかと、アレックス・カー氏についての紹介文を読んで思いました。
私が東南アジアで暮らした国の風景に感じているように、「変わらないで欲しい」という思いと似ているのかもしれません。


たしかに外から入ってくると醜悪にみえる景観もそこに生活があり、20年とか半世紀という長さでみれば、景観と生活は少しずつバランスをとりながら着実に改善されていると思うこのごろです。
「必要でない公共事業」で醜悪な景観になったというよりは、景観まで配慮するには公共事業費が足りないのかもしれません。


半世紀あるいは1世紀後に安定した生活と美しい景観を遺すためにどれだけ社会でお金を使うか、というあたりでしょうか。


ふと「三匹の子豚」を思い出しました。





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