水のあれこれ 63 <水辺は誰のものか>

私が葛西臨海公園を一目見て気に入った理由は、以前暮らしていた東南アジアのある地域の風景にとても似ているからです。
半島から奥まった場所にある湾にある街に暮らしていて、海辺には市場があって、野菜や果物、魚や日用品が山積みされた喧噪の中を歩くのが楽しくて、毎日のように通っていました。


市場の横は広い砂浜になっていて、時々、海をぼーっと眺めに行きました。
左側の半島を目でたどり、反対側の半島もながめるとその様子が房総半島と三浦半島にそっくりなのです。
「ああ、まるで東京湾のようだなあ」と、ちょっと郷愁にかられる場所でもありました。


今、葛西臨海公園の海辺に座っていると、またあの地域に行きたいと懐かしさがこみ上げてきます。


地理的にはそっくりなのですが、全く違うことがあります。
東京湾沿岸は、工場や商業施設などがびっしりと埋め尽くしていることです。
地図を見ても、木更津を越えたあたりまで行かなければ、自然な海岸線を歩く事は難しそうです。


東南アジアのその地域では、海辺に沿って小さな集落が点在している場所があることと、ところどころに工場や多国籍企業の港があるくらいで、ほとんど海岸線は砂浜やマングローブに覆われています。


その工場や港なども、椰子の木などで覆われているので、海岸線はただの森林のように見えます。


沿岸の集落を尋ねると、森にしか見えなかった場所にけっこう人がたくさん住んでいることに驚かされました。
場所によっては海に突き出す形で家を建てて暮らしている漁村もあって、家の横に直接船を横付けして漁に出かけるのでした。


海辺にあるこうした村には、必ずニッパ椰子で建てられた東屋が海に向かって建てられていて、暑い昼間にそこで昼寝をすると、もう気分は天国という感じでした。
聞こえてくるのは波の音と、椰子の葉を揺らす風の音だけでしたから。


時々、遠くから車の音が聞こえると、村の人たちが道ばたに出て行きます。
知人が尋ねて来たり、どこからか荷物や郵便が届いたり。
海辺を通っている幹線道路なのですが、車が通ること自体が珍しいのでした。


たまに、村の人が「プライベートビーチ」と呼ぶ場所があって、富裕層の人が所有している場所がありました。
でも全体から見ればそういう場所はごくごくわずかで、ほとんどが放置された場所に見えました。
国のものなのか、個人のものなのか、あるいは集落のものなのかがはっきりしない海岸線がずっと続いているのです。


川や湖のほとりも同様で、誰もが自由に水辺に行くことができるように見えたのですが、その社会にはその社会なりのなんらかのルールがあったのかもしれません。
今となっては、詳しい事を知る手段がなくなってしまいましたが。


葛西臨海公園でぼーっと海を見ながら、いつかこの東京湾の海岸線も緑で覆われて、一見工場や商業施設の存在がわからないような風景になって、海岸沿いを自由に歩けるようになったらすごいなと妄想しています。




「水のあれこれ」まとめはこちら