記憶についてのあれこれ 59 <静寂>

朝6時台の通勤電車の中は、それなりに混んでいるのに物音ひとつしないかのような静寂があって、結構好きな空間です。


いつ頃からか、人がワイワイとしゃべっている空間が苦手になりました。
たぶん、女の子たちがグループになっておしゃべりが多くなる思春期あたりだったのではないかと思います。
私自身は決して口数が少ないとか無口ではないのですが、友人たちの話が盛り上がって笑い声や話し声が甲高くなると、そっと側を離れていくようになりました。


どちらかというと一人で行動し、一人で静かにぼーっとしていられるほうが、今も落ち着きます。


静かな状況を表現する言葉は「静寂」しか思い浮かばないのですが、今日はそんな静寂についての記憶のあれこれです。


<初めて教会に入った>


犬養道子さんの本に出会ったことがきっかけで20代にキリスト教へ関心を持ったのですが、教会堂に入ったことはありませんでした。
教会というのは本来、誰にも開かれているものなのかもしれませんが、足を踏み入れるには躊躇しますね。


私が初めて教会堂に入ったのは23才の頃で、長崎の浦上天主堂でした。
長崎で開かれた看護学会のあとに、ふらりと立ち寄ってみたのでした。
教会の入り口にある教会用品を販売する場所に入ったところ、一人のシスターが話かけてくださいました。
看護学会参加のために来たことを話すと、そのシスターも看護師の資格をお持ちであるとのことで私に親近感を持ってくださり、「今は一般公開はされていないのですが、特別に」と天主堂の中へと案内してくださったのです。


そしてその翌年には東南アジアの難民キャンプで働くことを知ったシスターが、私と私が出会う人たちのことを思って一緒に祈ってくださいました。


あの時のシスターと二人だけの浦上天主堂の静寂は、いつも記憶の中にあります。


<さまざまな教会やモスク>


その翌年に東南アジアで暮らすようになって、その国のたくさんの教会堂に入ってみました。
都市部にある壮大な教会堂から、十字架が掲げていなければ教会堂とはわからないほど質素な辺境の地の教会まで、本当にさまざまでした。


難民キャンプの中にも、カトリックプロテスタントのさらにそれぞれの宗派の教会がいくつかあって、いつでも誰でもが入れるようになっていました。
いつ行っても、必ず祈っている難民の方たちの姿がありました。
私も一人になりたくなると、教会の椅子に座ってぼーっとさせてもらいました。


私が気に入った教会堂は、プロテスタントに改宗した少数民族の地域の小さな教会堂でした。
中には、手作りの木のベンチがあるだけです。
以前本でみたフランスかどこかの修道会のようです。
その修道会は装飾品どころか椅子さえもないただ空間だけの教会堂で、観想を重視する宗派だったと記憶しています。


のちにイスラム教の方々と知り合い、1990年代はあちこちのモスクにも入らせてもらいました。


モスクもまた荘厳な建築様式のものから、質素なつくりのものまで幅広いことがわかりました。


ただ、キリスト教の教会と大きく違うことは祭壇がないこと、床にすわって祈ることから、基本的にモスクの中は椅子も何も無い空間であることでした。
その何もない空間がとても気に入りました。


静寂、そして飾り立てるものの何も無い空間。
なんと贅沢な空間なのだろうと。


朝の通勤電車内の静寂は、こうした贅沢な空間の記憶を呼び覚ますかのように、ふと満ち足りた気持ちにさせてくれるのです。






「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら
犬養道子氏に関する記事のまとめはこちら