水のあれこれ 6 <魚を呼び寄せる>

波消ブロックの記事で紹介したWikipediaテトラポッドの説明に、「魚礁(ぎょしょう)」という言葉がでてきます。

テトラポッド自体やその周辺の捨て石などが魚礁の役目を果たすことから、根魚など魚種が豊富であることが多く、格好の釣り場となっていることが多い。


この話はテトラポッドを作っている会社を訪れた時に初めて聞き、あの無粋で景観の邪魔になりそうなコンクリートの塊だと思っていた波消ブロックにもメリットがあるのだと、印象に残りました。


河川や海岸など水のある場所に、ダムや堤防、あるいはこうした波消ブロックのような人工の構造物があると、環境、特に魚などの生物に大きな影響を与える事を知ったのは1980年代から90年代に環境問題の議論が増えた時代のことでした。


釣りをするわけでもなく魚は店で購入するだけでしたから、魚を口にするまでにどのような段階があるのかもよくわかっていませんでした。
「日本は海に囲まれて、どこにいっても豊かな漁場がある」
それぐらいの認識でした。


<遠洋とはよその国の沿岸・沖合である>


小学生になると世界地図での学習がありますが、あの地図を見れば日本は広い海に囲まれています。
漁業には「遠洋漁業、沖合漁業、沿岸漁業」があり、冷凍設備をもった大型の漁船が船団を組んで漁業をしていることもたしか小学生ぐらいで習ったのではないかと思います。


その遠洋漁業というのはあの地図でみた大きな海原で行われていると、ずっと思い込んでいました。


1990年代始め頃から行き来していた東南アジアのある地域では、漁師の人たちと知り合う機会が多く、このブログのタイトルもその経験が意識されていることを「水の中ー海、国境のない海へ」で書きました。


「1960年代までは魚はいくらでもとれたが、1970年代になると沖合で日本の大型漁船が根こそぎ魚をとっていくようになって、今は魚がとれなくなってしまった」
ふだん何気なく食べていた魚なのに、隣国の零細漁民の人たちの生活に影響を与えていたことを初めて知りました。


日本に帰国して、水産関係の専門書がある図書館通いが始まりました。
その中のどの本に書かれていたのか忘れてしまったのですが、「遠洋漁業というのは、よその国の沿岸・沖合漁業のことである」といった一文が書かれていました。
何でそんな当たり前のことに気づかなかったのだろうと、虚をつかれた思いでした。


Wikipedia遠洋漁業には以下のように説明されています。

遠洋漁業の現代的な定義は、自国の排他的経済水域(200海里水域ー370.4km)の内外における大型漁船による漁業である。単船で行われる場合もあるが、船団を組んで相互に連絡を取り合う場合が多い。

同じくWikipediaの沖合漁業では、「沖合で行われる漁業のことで、沿岸漁業遠洋漁業の中間規模のものを指す」と書かれています。
遠洋漁業というのは、相手国の沖合漁業との境界線のせめぎ合いといったところでしょうか。


私は、あの世界地図の濃い青の海原にはたくさん魚がいるのだと思い込んでいました。
専門的なことはよくわからないのですが、水深が深すぎれば魚はとれないので、漁業というのは沿岸から沖合で行うものであることを知ったのが、その漁師の方々との出会いによってでした。


<魚を育てるための魚礁>


私がその国の漁村で寝泊まりさせてもらった1990年代初頭は、すでに日本も遠洋漁業が衰退し、直接的な影響はなくなっていた時期でした。


そのかわりに、日本の中古船を買い取った中国・韓国・台湾などの漁船団が沖合で不法操業をしていることが問題になっていました。
そして、底引き網で根こそぎ魚を捕り、高級な魚は日本などが輸入しているらしいということでした。
そのあたりの正確な状況については当時資料を探してみたのですが、専門知識もない私には手に負えませんでした。


沖合での不法操業で減った沿岸の漁獲量を維持するために、ダイナマイト漁が行われていました。
ダイナマイトを爆発させ、気絶して浮き上がって来た魚をとる不法な漁法です。


ダイナマイトで事故にあう漁師も後を絶たず、また魚が産卵し育って行くために大事な海底のサンゴ礁を壊滅させますから、漁師にとっては自殺行為のような漁法をせざるを得ない状況にまで追い込まれていました。


その国の零細漁民のNPO(民間団体)が、全国の漁師にダイナマイト漁を止めて、魚を育てる環境を維持しようと呼びかけていました。


そのひとつとして紹介されていたのが人工漁礁で、ココナッツの葉を竹で組んだ土台につけたパヤオという魚礁を沖合に設置する方法でした。


そこに魚が集まり、育つのを待ち、適正な漁獲量を維持する。
日本でも当時、「栽培漁業」という言葉が聞かれ始めていましたが、そのニュアンスとも少し違う、パヤオに最後の願いをこめている漁師の人たちの姿に見えました。


魚は無尽蔵にあるのではなく、世界中から魚を買い集めている日本の状況では、いつか魚が食べられなくなるのではないかという20年ほど前の不安が現実味を帯びてきたこのごろです。




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