なぜ地図を眺めていると川合に惹かれ、そこを歩こうとしているのか。
やはり行きつくのが、ゴールデン・トライアングルでした。
1980年代初頭、インドシナ難民問題を知るようになった頃に知った場所でした。
黄金の三角地帯(おうごんのさんかくちたい)とは、東南アジアのタイ、ミャンマー、ラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯で、ミャンマー東部シャン州に属する。(Wikipedia「黄金の三角地帯」)
Wikipediaでは「世界最大の麻薬密造地帯」についてだけ記載されています。それとともに、当時はラオスからの難民の人たちは、このゴールデントライアングルを渡ってタイへと出国していました。
それで、ゴールデン・トライアングルの地名をよく耳にしていました。
*ゴールデン・トライアングルを訪ねた記憶*
ミャンマー(当時はビルマ連邦)とラオス、タイの3つの国境が川で隔てられている場所で、警備が厳しい場所なのにどうやって逃げ出すのだろう。命からがら水を渡ることが、当時の私には恐ろしく感じる話でした。
1980年代半ば、最初に半年間働いたインドシナ難民キャンプは、ベトナム・カンボジア・ラオスの三ヶ国の難民の方に接する機会がありました。その中でもラオスの方たちは名前の覚えにくさのみならず、ベトナム・カンボジアの方たちに比べてほとんどしゃべらないので、なかなか親しくなる機会もないまま、私の方が次の勤務地のベトナム人難民キャンプへと移動になりました。
ですから、どうやってゴールデン・トライアングルを越えたのか、話を聞く機会がありませんでした。
「ゴールデン・トライアングルを見てみたい」、その希望が叶えられることになりました。
研修していたアメリカの大学生たちの任期が終わり、帰国する前にゴールデン・トライアングルに行くという計画に便乗させてもらえました。
私自身が2年間の期限付きのインターンという立場なのに、あなたは2か月の休暇を取る必要があるというのが国際機関なのだと驚きました。「私はボランティアなのに」と躊躇したのですが、働くことをボランティアという言葉であいまいにしてはいけないのかもしれないと意識が大きく変わりました。
おかげで、私のゴールデン・トライアングル行きが実現したのでした。
バンコックからチェンライへ、そしてチェンマイへと数日ごとに移動するというのんびり旅で、いよいよゴールデン・トライアングルです。
目の前に中洲のようにビルマが見え、そして右側にメコン川、そしてその向こうがラオスです。
河岸ギリギリまで熱帯雨林があったような記憶です。
想像していたほど大きな川ではなかったのですが、流れは速いように見えました。
国境だからというような物々しい警備の姿もなく、ひなびた村の雰囲気だったことにちょっと拍子抜けしました。
バックパッカー向けの小さなホテルと山岳少数民族の村への体験ツアーがありましたが、欧米のバックパッカーがちらほらいる程度でした。
*地図で確認した*
ゴールデン・トライアングルのことを思い出すことが増え、そうだ地図で見てみようとパソコンのマップを開いてみました。
3つの国境が接するところを拡大して驚きました。
国境と離れたところにコン川(タイのメコン川)があり、「ゴールデン・トライアングル」がありません。
たしかに川が合流して、国境と川が重なった場所をこの目で見たはずなのに、記憶違いでしょうか。
「ゴールデントライアングルの行き方と鉄板観光スポット5選」というサイトに、写真がありました。
「三角州の左側:タイとミャンマーの間を流れるルアク川」「三角州の右側:タイとラオスの間を流れるメコン川」という説明とともに、あの光景の写真が掲載されていました。
かつて住んでいた東南アジアのある地域の地図も、かなり端折られていることがしばしばで、最大限に拡大してもほとんど何も描かれていないこともありますから、完璧な地図はないですね。
検索したおかげで、川合のもう1つの川の名前を知ることができました。
ルアク川という川だったのですね。
川辺とその集落を歩いた記憶は結構残っていて、もう一度訪ねてみたいなと妄想の旅をしています。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。