食べるということ 90 まずは魚市場食堂へ

いつもなら目的地に着いたら「さあ歩くぞ!」という記録になるのですが、氷見ではまずは氷見漁港を目指して早いお昼ご飯を食べに行きました。

 

氷見駅から北へ300mほど歩くと愛宕神社がありました。立派な石垣です。

御由緒がありました。

往古より海の恵深き氷見浜に漁業を営み豊砂に麦粟麻を植えし当地は浜辺の強風に起こる火の災い海上の時化に起こる難舟の災いに悩み其の鎮護として火伏りの神 迦具土命 別称愛宕神を奉る。

当地と連続せる仕切町南下町高砂町愛宕神を奉れるも此れに由来しかつて舟着場の艪網を結んだ巨岩を神の依り代として春夏秋冬の折々に祝祭を斉行し歌垣を催すと伝わる当社を氷見愛宕総社と称す。

迦具土命は仏教伝来弘宣ののち地蔵尊と習合し勇壮な青壮年はこれを勝軍地蔵と称えて生業成就を祈願しまた心根優しき婦女幼童はこれを六道地蔵と称えて日常の無事息災と故人の平安浄福を祈願す。やがて地蔵尊の縁日に因みて祭日を毎月二十三日二十四日に確定し町名地蔵町も此れに由来せり。

相殿に坐す中黒六左衛門大人命は江戸中期享保年間に加賀藩氷見町奉行赴任の折災害うち続く町民の窮状に心を痛め復興のため尽力せり。

町民その思徳を偲びて秋季大祭に併せて中黒祭を営むを慣例とす。

転変常なき世情にありて地蔵愛宕社は地蔵町民がその比類なき伝統を受け継ぐ深き絆となっている。

生活の記録であり、災害の記録でありそして政治とは何かの記録でもありますね。

 

 

その愛宕社を東へ曲がると海沿いの漁火ロードの向こうに弧を描くように富山湾が広がり、越ノ潟にかかる新湊大橋そして遠くに立山連峰が浮かび上がるように見えています。

しばらく惹きつけられるように立ち止まりました。

 

小さな川を渡ると氷見漁港の敷地ですが、このあと訪ねる予定の十二町潟からの水がここで海に流れこんでいるようです。

 

*漁港で食べる*

 

遠出の計画を立てるときにはいつも漁港があるか、そして市場に食堂があるか確認しています。

ただ、時間が取れずになかなか漁港で食べることが幻のまま終わってしまいます。

 

漁港の中の食堂で食べるようになったのは、30代の時に暮らした東南アジアででした。

公設市場内の食堂にしょっちゅう出かけて、地元の人に混じって食堂でご飯を食べていました。

日本の漁港の食堂とも少し雰囲気は違うのですが、漁師の人たちの活気が感じられるのは同じですね。

 

10時45分、食堂に入りました。お昼には少し早い時間のためでしょうか、空いていました。

海鮮丼と漁師汁、そして白魚のコロッケを頼みました。

窓の外では漁師の方々が何か片付けをして、トンビが旋回しています。

漁師汁は二人分かと思う鍋でしたが完食。魚もお米も美味しくいただきました。

 

満足して漁港の敷地内を歩き、もう一つ目指す場所があります。

漁港の前に「魚取社」という神社が地図に描かれていました。

 

ここもまた立派な石垣の中に古いお社がありました。

 

西側へと緩やかに坂になり、漁師町の住宅が整然と並ぶ路地を歩いて、先ほどの小さな川を目指しました。

 

美味しい魚とご飯で、どこまでも歩けそうな気持ちになりました。

 

 

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