幼稚園児だった私に「無とは何か」と問いかける父でしたが、もうひとつ記憶に鮮明に残っている言葉が「イデオロギーに入り込むな」でした。
看護学校に入学するために家を離れる直前のことだったと記憶しています。
年頃の娘が進学のために実家を離れるのですから、世の父親なら「男性との付き合いは慎重に」とか言うのではないかと思うのですけれど。
まあそれはさておき、「イデオロギー」という言葉は高校生でも知っていましたが、具体的にどういうことなのか手当たり次第の本で探してみましたが、辞書にも簡単に「観念、思想」ぐらいしかありませんでした。
当時の父の書斎には、「大東亜戦争の敗因は何か」とか「勝共連合」といった本がたくさんありました。旧陸軍の士官学校を卒業し終戦を迎えた頃のそのままの思想を、父から時に感じることがありましたから、父にとってイデオロギーとは共産主義や社会主義のことを指しているのかなと漠然と思っていました。
イデオロギーという言葉の意味がよく理解できなかっただけでなく、私から見れば父はイデオロギーにはまり込んでいるようにみえましたから、どういう意図で私にその一言を言ったのかという点でも理解できずに、その後、30年以上も考え続けてきました。
それ以降、何かにつけて思い出すこの一言のおかげで、私はかなり反動から反動への人生の中でも、中庸に戻ることができたのかもしれないと父に感謝しています。
父の意図とは違ってしまったかもしれませんが。
<イデオロギーとは>
今はネットですぐにこうした言葉の説明もみつかるので便利ですね。
三省堂のSanseido Word-Wise Webというサイトで、「イデオロギー」は以下のように説明されています。
イデオロギー(ideologie)はドイツ語から来ています。「社会集団や社会的立場(国家・階級・党派・性別など)において、思想・行動や生活の仕方を根本的に制約している観念・信条の体系。歴史的・社会的立場を反省した思想・意識の体系」を意味します。また「特的の政治的立場に基づく考え」をさします。そのほか俗に「空理空論」という意味で揶揄(やゆ)的に用いられることもあります。
これぐらいわかりやすい解説があれば、高校生だった私でも理解できて、その後30年以上も悩まなくてよかったかもしれません。
Wikipediaのイデオロギーではもう少し具体的に説明されています。
・世界観のような物事に対する包括的な観念。
・日常生活における哲学的根拠。
ただ日常的な文脈で用いられる場合、「イデオロギー的である」という定義はある事柄への認識に対して事実を歪めるような虚偽あるいは欺瞞を含んでいるとほのめかすこともあり、マイナスの評価を含んでしまうこともある。
・主に社会科学の用法として社会に支配的な集団によって提示される観念。殊にマルクス主義においては階級的な立場に基づいた物の見方・考え方。
さらに<定義と特徴>には以下のようにまとめられています。
・イデオロギーは世界観である。
・同時にイデオロギーは偏った考え方であり、何らかの先入観を含む。
・イデオロギーは闘争的な観念である。
この3点が知識上の理解ではなく、30年ほど悩み続けた実体験からくる理解に近いものだと、つくづく思います。
そしてここ数年でであったニセ科学の議論の中でよく耳にした、「気持ちの問題」という言葉。
そのあたりに「イデオロギーに入り込む」がつながってくるように思えてきました。
父から与えられた課題に少し自分なりの答えが見えてきたので、先日父にイデオロギーの話題を持ちかけてみました。
坐禅の話では目を輝かせて雄弁に語ってくれるのですが、もうイデオロギーという言葉には関心も示してくれませんでした。
でも私にとっては、父から与えてもらった人生の宝物だと思うこのごろです。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。