散歩をする 75 <寺社のある場所、水が湧き水を治める場所>

記憶の中の私の父は、神社の前を通る時には運転中でも必ず一礼していました。


子どもの頃からそういう姿を見ていたのですが、「神棚と仏壇がない家に育った子どもは」ということを言う父でもあったので、軍国少年として育った背景からくるイデオロギーのようなものが、信仰に熱心にさせているのだろうと思っていました。


父の思想への反発から私自身を築いてきたような人生でしたが、最近、あちこちを散歩するようになって、父はもっと素朴に、畏敬の気持ちから神社の前で一礼をしていただけだったのかもしれないと思うようになってきました。


<寺社の場所を見ると地形が見えてくる>


最近、地図を読む技術が少し上達して、まだ行ったことがない場所でもなんとなくその風景を予想できるようになりました。
風景といっても、主に 高低差ですが。


ポイントは河川や、元々は河川や用水路や排水路だったところが暗渠になっているところをたどり、その周辺にある寺社を見つけることです。
暗渠化の進んだ都内でも、寺社の周辺にはやや不自然に蛇行した道があります。


たとえば目黒川上流の暗渠化された遊歩道をずっと歩いていくと、蛇行した遊歩道に沿っていくつか神社があります。
どの神社も少し高台に造られていることがわかります。
おそらく何度も洪水を引き起こし、小さな川の周辺にある猫の額ほどの農地も家も被害を受けていたことでしょう。
わずかの高低差であっても神社が造られ避難の場所になり、水害が起きないように祈るしかなかった時代はそれほど遠くはなかったのですから。


そして、大きな洪水を繰り返していたと思われる川の側には、必ずお寺があります。
権力者が水のある場所を制していた意味もあるのでしょうが、その墓地に眠る人の中には洪水の犠牲になった人がどれくらいいるのでしょうか。


もうひとつ、ハケという言葉を知ったことで、もう少し地図に立体感が出てきました。
高低差のある場所からは、生活に必要な水が湧き出していることが多かったのではないかと。


小さな湧水一本の水流が上水道から下水道までの機能を持ちながら村から村へと流れていったことでしょう。


父が子どもの頃は、水が不足することがないようにそして水が村に被害を起こさないようにと、神社に祈るしかすべのない時代だったのだと、ようやくあの一礼の意味が理解できたのでした。




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