記憶についてのあれこれ 73 <1980年代の水際での感染予防対策>

こちらの記事で書きましたが、先日ニュースの中で映し出されていた地中海沿岸に漂着した難民の救助の様子で、スタッフが感染予防のための防護服を装着していました。


全身を被う防護服、ゴーグルそしてN95マスク、中には防毒マスクのようなマスクを装着しているスタッフの様子も映し出されていました。


これはイタリアの様子だったと思いますが、他の国も難民を受け入れる際にここまで徹底した感染予防対策をとっているのかはわかりませんが、この映像をみて30年前とは隔世の感ありという感じでした。


こういう感染予防のための服装をニュースで目にするようになったのは、2003年の重症急性呼吸症候群(SARS、サーズ)あたりだったのような記憶がありますが、当時は医療従事者の私でも物々しさを感じるほどでした。


1980年代半ばの難民キャンプでは、まだN95マスクどころかデイスポ手袋さえもありませんでした。
沿岸に漂着した難民を救助する際にも、スタッフは普段着のままという丸腰のような状況でした。


難民キャンプから第三国への定住のための健康管理が任されていた国際移住委員会(IOM)では、アメリカのCDC(感染予防管理センター)に基づいたプログラムを実施していました。


当時にすれば最先端の感染予防対策といってよいほどのレベルだったと思うのですが、やはり1996年の標準感染予防対策が明確にされたことの意味は大きいとあらためて思います。


その2012年10月31日の記事に書いたように、1980年代半ばの日本の病院では注射器でさえもまだまだデイスポ製品は限定的な使用だったぐらいですから、難民キャンプでは全てデイスポ製品が使われていることに驚きました。


それでも今、思い返すたびにヒヤリとしていることがあります。


それは難民キャンプで予防接種のために使用した注射器と針を、そのままキャンプ内の空き地に穴を掘って埋めていたことです。
誰もがその感染性物質に汚染されている使用済みの注射器・針を持ち出せる状態でした。


CDCのプロトコールに沿って行われていた予防接種プログラムでしたが、もしかしたらアメリカ本国でもまだ医療廃棄物と感染予防対策までは明確にされていなかったのではないかと思います。
私も他の医療スタッフも当時はそれに対して危険性をあまり感じていなかったので、やはり1996年以前と以降の医療従事者の認識は、このCDCの標準感染予防対策に大きな影響を受けたのかもしれません。


1996年あたりから医療の教育を受けた世代には、標準感染予防対策は空気のように当たり前に感じるかもしれませんが。


<水際での感染予防対策>


さて、1980年代当時CDCの難民キャンプでのプログラムには、予防接種の他に結核・性病・らいの治療があり、私はその担当をしていました。
それらの疾患の治癒証明がないと、第三国への定住は認められませんでした。
エイズはその疾患が発見されたばかりでしたから、まだプログラムには組み込まれていませんでした。


難民の人たちを受け入れる際に、一番怖れていたのがなんといっても結核です。
本国での生活や衛生状態もわからない上に、ボートで漂流中の栄養失調や過密状態の中で感染が拡大していることも考えられました。


また本国での不十分な結核の治療を繰り返した結果、薬剤耐性の難治性の結核になり、他の家族は難民キャンプからアメリカへと定住しているのに何年もキャンプに残って治療を受けている人もいました。


20代半ばだった私にとっては、外国からの移住を受け入れるために疾患を持ち込ませない対策を徹底させている移民の国アメリカと、外国の人に対応することが想定されていなかった当時の日本の医療との差を感じる経験でした。

もし今また漂着した人の救助に参加するのであれば映像のような防護服とN95マスクは欲しいと思いながら、ニュースを見ていました。






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