難民についてのあれこれ 1 <難民という言葉に出会った頃>

このところ両親のことや自分の老化、あるいはさまざまな回想が多い中高年のブログに様変わりしているので、「出産」とか「授乳」で検索して訪れてくださる方には変なブログだと思われることでしょう。


また、いきなり難民の話題になったりするのですが、もしかするとこの「難民」という言葉は、ここ30年ほど私の中では思い出さない日はないほど頭に去来する言葉かもしれません。


こちらの記事に書いたように、犬養道子さんの本がきっかけで海外医療救援に参加したのが30年ほど前のことでした。
「海外医療救援」というよりも、犬養さんが書かれていた「難民」という言葉に強く引きつけられました。


ここ2〜3年、アフリカ諸国から地中海を越えてくる難民のことが時々報道されて気になっていました。
4月下旬にも、EUが難民問題を協議するために緊急会議が開催されるというニュースがあり、その中でイタリア沿岸に漂着した難民の人たちを救助している映像が流れていました。


感染予防のためか救援スタッフ全員が防護服を身につけている様子は30年前にはないものでしたが、それ以外は私がインドシナ難民キャンプで見て来た状況そのものでした。


ただ、EUの緊急会議のニュースの前後に報道された記事を読んでも、30年前の「難民」の定義や対応では太刀打ちできないほどの複雑な状況になっていることがわかります。


いえ、すでに30年前のインドシナ難民の状況も、犬養道子さんがヨーロッパの難民救援活動に感銘を受けられた頃の「難民」とは違うものに変化し始めていたのだと思います。


どの著書かは忘れてしまったのですが、1980年代初頭に読んだ犬養道子さんの本の中で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の活動の始まりは第二次世界大戦後のヨーロッパでの難民救援活動であることが書かれていて、それがとても印象に残ったのでした。
あの先進国ヨーロッパにも難民と呼ばれる人たちがいたことに。


国連難民高等弁務官事務所のサイトの「UNHCRの沿革」には以下のように書かれています。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR:United Nations High Commissioner for Refugees)は世界各地にいる難民の保護と支援を行う国連機関である。UNHCRは国際連合によって創設され、1951年にスイスのジュネーブを拠点に活動を開始した。当初は第二次世界大戦後の後遺症がまだ残るヨーロッパにおいて、100万人以上の難民の援助を行っていた。


そしてもうひとつ犬養道子さんの本の中で印象に残ったのは、こうした難民キャンプにボランティアとして参加する人たちの気負わない姿でした。
「時間と経済的に許せば大学生や社会人がバックパックひとつででかけ、そこで自分にできることを見つけて過ごし、そしてさっと引き上げてまた日常生活に戻っていく」といったことが書かれていました。


実際に、インドシナ難民キャンプでもそういう欧米の人たちの姿がありました。
私のように難民の人たちや受け入れ国の貧困層の人たちへの強い感情移入で自責の念にかられることもなく、さらっときてさらっと帰って行く人たちがいました。


現在のEUでの難民問題の政治的なことは全くわからないのですが、ニュースを見聞きしながら私は「難民」をどうとらえて来たのだろうと思い返してみたくなりました。


これもまた30年来のやり残した宿題といったところです。
少しかた苦しい話ではありますが、関心を持ってくださる方がいらっしゃることを願いつつ、不定期に書いてみたいと思います。




「難民についてのあれこれ」の記事のまとめ。

<2015年>
1. 難民という言葉に出会った頃
2. 難民とは
3. 「難民」という言葉について
4. 経済難民
<2018年>
5. 私にも移民の子孫になっていた可能性があった
<2019年>
6. 難民になれなかった人
<2021年>
7. 最初の難民「上陸」
8. 難民と亡命
<2023年>
9. 「なんという空しさ、すべて空しい」


犬養道子氏に関する記事のまとめはこちら