善きサマリア人になれるか

ニュースを直接見たわけではないのですが、先日、国際線の飛行機の中で出産があったことを知りました。


周産期関係者のみならず他の診療科医師を初はじめ医療従事者の大半は、こうしたニュースを聞くとまずは自分がその場に居合わせた状況を想像して、じんわりと脂汗と冷や汗がでるのではないかと思います。


もしその機内に医療従事者が私しかいなかったら、と私もいろいろなことを考えてしまいました。


まず国際線に搭乗する妊婦さんで「旅行目的」であれば36週未満である可能性が高いので、早産の分娩介助をしなければいけないことに冷や汗が吹き出してきました。
35週とか36週あたりの早産の分娩というのは、胎児も小さいためか急速に進み、分娩自体は一見「安産」に見えます。


ところが、分娩進行中の早産の分娩監視装置のデーターを知っている周産期関係者であれば、相当、胎児にストレスがかかっていることは容易に想像できます。
「あー、もし分娩監視装置があったら、きっと高度遅発性一過性徐脈とか持続性徐脈とか出ているだろうなあ」と、ぐったりと生まれてくる新生児を想像するだけでこちらも生きた心地がしません。


案外、早産の場合も「おぎゃー」と産声が元気でホッとさせられることはありますから、とりあえず赤ちゃんが無事に生まれるまでその女性のそばにいるしかありません。
ただ、35週以下ぐらいの赤ちゃんなら、元気そうに泣いた後でもどんどんと全身状態が悪くなるので、こちらの心臓も凍えそうです。


以前なら、無事に産声さえ聞けばそれで安心していました。
ところが最近は、産科医療補償制度の原因究明の資料を見ると、胎児環境の状態を知るてがかりの臍帯血血ガス値や出生時のアプガールスコアもそれほど悪くないのに、結果、脳性麻痺になっているお子さんがいらっしゃることを知って、ますます「産声が元気」だけではいけないことを痛感しています。


まあ、それでも何もない状態ですから、産声が元気ならまずは一安心です。
泣かなければ、そこにあるものでできるだけ清潔臍帯を切断して、一通りの蘇生術をするしかありません。

ただし、早産児は体温が下がりやすく、低血糖を起こして一気に全身状態が悪くなる可能性がありますから、インファントウオーマーもない機内では空調を止めてもらい(可能なのでしょうか?)、赤ちゃんが冷えないように気をつけて、空港で待機している新生児科の医師に引き継げるようにしなければならないことでしょう。


その間に、産婦さんの胎盤娩出や出血をおこさないような観察と対応をしなければなりません。
赤ちゃんが無事に生まれても、そのあとの産科出血の怖さは経験した人にしかわからないことでしょうか。


子宮収縮が悪くて起きる弛緩出血や、急速な分娩につきものの産道の傷からの出血に、医師もいない、医薬品もない状況では、そのあたりにあるタオルなどを産道に片手で突っ込んで片手で子宮底を圧迫して止血するしかないかもしれません。


もうお産の神様に祈り、着陸を待つしかありませんね。


ここまで書いていたら動悸がしてきました。


<自分がその場にいたら声を挙げるか>


助産師になった二十数年前なら、こうした状況で分娩に遭遇したら誇りをもって名乗り出ていたと思います。


今は、不十分な対応しかできないことで予測できる最悪の状態に怖じ気づいています。
そして更に、医療従事者であるが故に、その不十分な対応に対しての訴訟の可能性もあるかもしれないことに。


日本でもぼちぼち医療訴訟が増えて来た90年代から、特に2000年代に入って医師の方々のブログなどで、「善きサマリア人の法」についての議論を目にして考えさせられました。


日本医師会「行き倒れ患者や乗り物内の救急患者の診察」を読むと、日本国内でのこうした対応に関しての医師の方々の葛藤がわかると思います。


「機内にお医者様はいらっしゃいますか?」は応召義務にあたるかどうか。
助産師にもこの応召義務が、保健師助産師看護師法第39条に書かれています。

「業務に従事する助産師は、助産または妊婦、じょく婦若しくは新生児の求めがあった場合は、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」


応召義務ととらえる範囲を広げられるか狭めるかは、世間の気持ち次第のところがあります。


機内での出産の話題が感動としてだけ伝えられてしまう状況では、まだまだ善きサマリア人の法への理解は期待できないかもしれませんね。
また自分自身はどうするか、と突き詰められたニュースでした。