水のあれこれ 16 <水の中で見えないということ>

先日父の面会に行った時、濃い霧が出ていました。
20m先の風景が全く見えないほどの霧で、前を走っている車のテールランプがすっと霧の中に消えて行くのは幻想的でもありました。


子どもの頃に過ごしたその山間部では、時々こういう濃い霧が出ました。
周囲にいる友だちが少し離れるだけで、ふとその場からいなくなってしまうような錯覚を起こすほどの霧でした。
都内では経験したことのない濃い霧は、一寸先は闇の夜の暗さとともに、なにか根源的な不安といったものを呼び起こさせるものでした。


見えていたものが突然見えなくなることの不安、といった感じでしょうか。


数年ぐらい前に、都内にも珍しく霧が出た日がありました。
子どもの頃過ごした地域での霧と比べれば、すこし「もやっている」ぐらいです。
それでも高校生までは、こうして日常的に突然視界が悪くなることに慣れて生活していたのかと不思議な気分になりました。


最近は霧とは無縁の生活でしたが、見えにくくなる体験はけっこう日常的にしています。


それは泳いでいる時です。


見えにくくなる条件にはいろいろあります。
まず、プールの水の入れ替え時期が近くなると、プールの水もやや透明度が悪くなります。
なんとなく泳いでいても息苦しくなるようなにごりを感じます。
視界を妨げるほどのにごりではないのですが、なにか怖さを感じさせるのです。



プール内の明るさもあります。
たまに行くプールは半地下につくられているせいか、日中でも水の中が暗く感じることがあります。
日差しがよく入り込むプールに比べ、水の中が暗いと圧迫感や閉塞感が少し強く感じられて、これもまたなにか不安をかきたてるものがあります。


<ゴーグルで水への恐怖心が少なくなった>


もうひとつはゴーグルが曇っている時です。


使っていくうちにゴーグルが曇りやすくなりますが、曇ったゴーグルを使って泳いでいる時というのは、いつも以上に全身の感覚を集中させながら泳いでいる感じです。
そう、あの霧の中を歩いているような不安に似ています。
新品のゴーグルに変えると、「こんなに見えていたのか。もったいながらずに早く新しいものにすればよかった」といつも後悔するのですが。


水の中では、目から入ってくる感覚がかなり泳ぎに影響しているようです。


そういえば私が20代でたまにプールに行っていた頃の1980年代は、まだ大半の人がゴーグルをしていなかったような記憶があります。
30代になって本格的に泳ぐようになって、私も人生で初めてのゴーグルを買ったのでした。


水の中にいても目を開けていられる、周囲を見ることができることはこんなに泳ぎやすくするものなのかと実感しました。
ゴーグルがあることで、水への恐怖心がだいぶ少なくなったのではないかと思います。


水泳人口の増加も、このゴーグルが手に入りやすくなったこともあるかもしれませんね。


<ゴーグル内に水が入る>


そのゴーグルにも曇りやすいこと以外に弱点があります。


きちんと顔に密着させたつもりでも、水に入った瞬間にすっと隙間ができて水が入ってしまうことがあります。
急に視野が悪くなりますから、その時の動揺は、もしかすると「目に水が入って痛い」よりも「溺れる恐怖感」に近いものがあるかもしれません。


いつも競泳大会を見ていて、あの勢いで飛び込んだ時にゴーグルに水が入ったら、トップスイマーたちはどうするのだろうと気になっていました。



一昨日、Japan Open2015の初日に行われた男子1500m自由形に、2009年の中学生以来の挑戦ということで萩野公介選手が出場しました。


スタートから伸びのある軽快な泳ぎだったのですが、途中300mぐらいのところで突然、右手でゴーグルを直すような姿がありました。
当然、スピードは落ちて最下位に。そしてもう一回、ゴーグルを直すようなしぐさがありました。
あ、ゴーグル内に水が入ったのかとわかりました。


1500m自由形はマラソンのように過酷で長い競技ですから、序盤で失速したらもう立て直すことは無理なのではないか、このまま棄権するのではないかとハラハラしました。


会場にもちょっと緊張感が走りましたが、萩野選手はその後も悠々と泳ぎ続けていました。
しかも、遅れを取り戻そうとピッチをあげるのでもなく、むしろ、他の選手が34ストロークぐらいのところを28回というゆったりした泳ぎなのですが、終盤に入るころにはいつのまにか先頭になり、最後は独泳状態で優勝でした。


1500mを専門にしてきた選手を抑えて優勝したこともすごいと思いますが、あの一瞬見えなくなった状態に焦らずゴーグルを直し、さらにいつも通りのペースで泳ぐというのは並大抵のことではないと思います。


優勝インタビューで、「ゴーグルの中に水が入ってチャパチャパしていたので、ほとんど前がみえなかった」と、これまたさらっと話していました。


あ、やはり萩野選手は努力の人だなと思いました。
がむしゃらに練習するという意味ではなく、泳げば泳ぐほどいろいろな状況を経験し、その失敗をも糧にできるという意味の努力だと。





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