水のあれこれ 34 <水の中の「技術の自由度」>

昨日から競泳日本選手権が始まりました。
オリンピック選考会を兼ねている大会は、独特の緊張感と期待が会場中に感じられます。


辰巳国際プールへの満開の桜並木の道を歩きながら、12年間のさまざまなシーンを思い出していました。


初日の最初の競技は、男子100m平泳ぎでした。
大会前から北島康介選手が好調であることが伝えられていたのですが、スタート前の数秒間は満員の会場が水を打ったように静かになりました。
そして久しぶりの59秒台を出して、1位で決勝進出。
まだ準決勝なのに、会場中から大きな拍手が北島選手に、そして一緒に泳いだ選手達へと贈られたのでした。
私も不覚にも、泣きそうになりました。


インタビューでの北島選手は、オリンピックの時のあの目でした。
そう自分の泳ぎだけに集中している、そんな感じでした。


400m個人メドレーでは、昨年、骨折でまさかの世界水泳欠場になった萩野公介選手が最後まで余裕のある泳ぎで、瀬戸大也選手と共に代表に決定。
お二人にとっては晴れの日も嵐の日もある4年間だったことでしょう。


400m個人メドレー女子の高橋美帆選手も苦しい4年間だったと思いますが、清水咲子選手とともに再び代表に。
400m自由形の江原騎士(ないと)選手がわずかに派遣標準におよばなかった時には、会場全体から悲鳴のような声が聞かれました。また五十嵐千尋選手も前半は日本記録ペースだったのですが、4連覇でも標準記録にはおよばず代表入りを逃しました。
でもこの二人の泳ぎは、あの重圧のある会場の雰囲気の中でも、最初からゴールまで体がとても軽く抵抗のない泳ぎに見えました。


<「技術の自由度」>


今回の日本選手権を、あの野口智博氏ならどう見ていらっしゃるのだろうと思ったら、なんとすでに初日の予選のあとにブログを更新されていました。


今日のタイトルにある「技術の自由度」はその中の言葉です。


北島選手が初めて58秒台の記録を出したあとの、世界の平泳ぎの流れについて書かれています。


北島選手が58秒を出した当時、世界の平泳ぎは皆北島選手をモデルにしてきましたが、低抵抗水着が使えなくなってから、平泳ぎの技術は徐々に変化してきました。
北島選手の技術はやはり非常に高いため、水着ルールが変わってしまったあと、各国の選手やコーチは、「今の水着では、その(技術の)土俵で戦っても北島には勝てない」と思ったのでしょう。
であれば、「土俵」を「リング」に変えるぐらいの発想が必要だったのです(笑)。
そこで、ハンガリーのギュルタ選手以外は、「技術の平泳ぎ」から「パワーの平泳ぎ」に大きくシフトしたのです。


たしかに、一時期は北島選手のような大きく伸びのある抵抗のない泳ぎをしている選手が多かった印象がありますが、最近は力強く泳ぐ選手が上位に入っているように見えました。


水泳は、流体を扱うスポーツなので、人間が思ったようにならない面倒くささがある一方で、抵抗が敵になったり味方になったりするスポーツです。

2008年当時は、たった一つしか道がなかった「58秒で泳ぐためのフォーム」は、今や複数種類登場してきました。
これは、競泳というスポーツが、粘性の高い流体を媒介して行うということと、「ルール上規制されている動き」があるためです。
ある一つの道じゃなくても、工夫と鍛錬によって「別の道でも同じタイムが出せるようになる」ということなんですね。
平井コーチも、昔の泳ぎを追い求めるのではなく、今速く泳げる泳ぎを追求する・・・という主旨のコメントを残されていましたが、これは水泳が「水」を媒介するが故に、「技術の自由度」が非常に高い種目でもあることを示すコメントではないかと、察することができます。


2004年のアテネオリンピックで優勝したときのタイムが1.00.08ですが、昨日の準決勝ではそれよりも速い59秒台ですから、12年の間に好調なときも不調なときもあったのでしょうが、北島選手の泳ぎの技術はますます磨かれて来たのかもしれません。


昨日はゴールするまでまばたきすることさえ惜しいと思うほど、あの美しい泳ぎに集中したのでした。


そして、ずっと応援して来たたくさんの選手の泳ぎ、「技術の自由度」への挑戦を楽しみにしています。




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