記憶についてのあれこれ 76 <妹と食べると美味しい>

父が今の介護病棟に転院になって半年が過ぎました。
私も院内の様子がだいぶわかってきたので、父との面会も病棟の外へ車いすで連れ出しています。



「手で記憶する」に書いたように、自宅にいるころは一日に何度も散歩に出かけていましたし、グループホームでは目の前にある公園に散歩に行くのを楽しんでいた様子でした。


脳梗塞で半身麻痺になってからは、「散歩?今はいいよ」と気持ちが向かないようです。
こちらも無理強いはせずに、景色のよい窓側に連れて行くぐらいでした。


入院している病院は、玄関のホールに季節折々の飾りつけをしてあり、そこで家族とお茶を飲めるようになっています。
3月に「お雛様を見に行こう」と連れ出したら、案外、気に入ったようです。


先日、何気なく「何か食べたいものはありますか?」と聞いたところ、「饅頭が食べたいなあ」という答えが返ってきました。
そういえば認知症になって以来、父自ら「○○を食べたい」と言うこともなくなりました。
もともと食べ物に関してもストイックなところがある父でしたが、むしろ食べ物やその名前さえも思い出さないような印象がありました。


目の前にあるものをただ食べる。
時にはその食べ方さえ忘れているので、周りが食べている様子を見ながらただ食べる。
生きるために体が食べ物を必要としているから食べる。
そんな感じに見えました。


その父の口から「饅頭を食べたい」という言葉が出て来たのです。
どんな記憶の積み重ねの中から、父の中に饅頭という言葉が残っていたのだろう、どうして今それを思い出したのだろうと不思議でした。


次の面会では、お饅頭と父が好きだったコーヒーを持っていきました。
ホールでそれを一緒に食べていると、「あーおいしいなあ」「妹と一緒に食べるのはおいしいな」と喜んでくれました。


ここ2年ほどはすでに父の記憶からは娘の私はなくて妹だと思っているようでしたが、最近は「妹」とも認識しなくなっていた様子がありました。
もしかすると、冬場は感染予防のために面会の時にマスクを着用しているため、顔がわかりにくかったのかもしれません。
「身の回りの世話をするスタッフの一人」ぐらいに感じているように見えました。


久しぶりに父の口から「妹」という言葉を聞きました。
妹として父の記憶の片鱗にまだ存在できていることが、これほどうれしいものだとは思いもよらない一言でした。






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