小金がまわる 5 <年金制度の始まりを支えた世代>

Wikipedia年金を読むと、案外その歴史はまだ新しいことに驚きます。

1954年(昭和34年)11月1日の「国民年金法」において、「養老年金」は一定の年齢に達した者の中で、一定の所得以下の者に限定して支給するものであった。
1961年(昭和36年)4月から国民年金法の適用(保険料の徴収)が開始され、国民皆年金制度が確立された。
その後、1985年(昭和60年)の年金制度改正により年金制度の骨格ができた。


ちょうど私が生まれた頃に全ての国民が年金制度の対象になり、私が20代半ばの頃にその「骨格」ができ上がったということのようです。
その年金制度改正については全く記憶にもなく、年金については今に至るまで不勉強のままきてしまいました。


<年金制度の始まりを支えた世代>


ここ10年ぐらいでしょうか。
少子高齢化」によって、こういう社会保険に関しては現役世代の負担感が強調されるのをよく耳にするようになりました。
たしかに、超高齢化社会ですから若い人が支える高齢者の人数は、計算上は増えます。


たとえば「公的年金制度の役割」にも、制度が始まった頃の1960年(昭和35年)では65歳以上の割合が5.7%で、20歳から65歳未満の人たち9.5人で高齢者1人を支えていたのが、2000年(平成12年)には17.3%、3.6人で一人を支える計算になっています。
そしてまた、1960年ごろの平均寿命は男性65歳、女性70歳ですから、年金の支給期間も現代に比べて短いものでした。



私も両親世代は60歳からずっとそこそこの年金が支給されているのをうらやましく思うこともあります。
私の世代はすでに支給開始年齢が65歳ですから、それまでなんとか働かなければいけないですし、両親世代ほどの年金額も期待できないかもしれないので、長い(かもしれない)老後をどうやって生計をたてたらよいかという不安が現実味を帯びてきました。


ただ、今の高齢者に対して現役世代の負担感という不満をぶつけるだけであれば、公的保険制度というのは成り立たなくなってしま可能性もあります。


父の言葉はなにを意味していたのだろうと考えているうちに、両親ように80〜90代の人たちは日本の年金制度が始まった頃を支えた世代であることが見えてきました。


それまで公的保険制度をほとんど経験したことのない当時の社会に、将来のために保険料を支払うという意識が社会に浸透したこともすごいことだと思います。


当時、どれくらい保険料を徴収されていたのだろうと検索してみましたがよくわかりませんでしたが、反対に当時どれくらいの年金がもらえたかについては、「年金制度における改革内容について 〜これまでの沿革を踏まえつつ〜」のp.8に「1万円年金」「2万円年金」そして1973年(昭和48年)には「5万円年金の実現」ということが書かれています。


この「1万円年金」「2万円年金」「5万円年金」については、 「厚生年金・国民年金情報通」というサイトに詳しいことが書かれています。


1965年(昭和40年)のサラリーマンの平均月収は約6万8000円、1973年(昭和48年)は約16万9000円のようです。
それまでは年金のために保険料を支払うこともなかった世代に、月額1万円を支払うことになったわけです。


「知らない高齢者にお金を渡すようなことよりは自分で貯金した方がよい」と思う人も多かったのではないでしょうか。


両親の世代は、どのようにしてこの年金制度を受け止めていったのでしょう。
もしかしたら、両親のさらに親世代に年金が支給されることで、親を養う負担が軽減されたという実感があったからかもしれません。


「年金制度における改革内容について」の「公的年金制度の特徴」には3つ書かれています。

人は、何歳まで生きるかは予測できない(どれだけ貯蓄をすればよいのかわからない)
⇒終身(亡くなるまで)の支給

いつ、障害を負ったり、小さな子どもがいる時に配偶者をなくす(=所得を失う)かわからない
障害年金、遺族年金の支給

50年後の物価や賃金の変動は予測できない(貯蓄しても将来目減りするかもしれない)
⇒実質的は価値に配慮した年金の支給


今年金を受け取っている世代というのは、年金制度が始まったばかりの社会を作って来た世代であるとあらためて思います。


「年金だけは続けたほうがいい」
父は時代の変化の中でどんなことを見て、どんなことを考えてきたのでしょうか。






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