記憶についてのあれこれ 79 <魚を食べられるということ>

少し前に観た番組で、マグロの内蔵の料理がありました。
あ、懐かしいと思って、また回想の世界へ。


私が初めてマグロの内蔵を食べたのは1990年代に1年間、ホームステイをさせてもらっていた東南アジアのある街でした。
<マグロもエビもやめてみた>に書いたように、そこには日本向けのマグロの水揚げ港がありました。


その漁港のすぐそばにある公設市場で食品などを買っていたのですが、その中にある食堂でマグロの心臓や胃を煮込んだ料理を食べました。


調理方法どころか味もほとんど思い出せないのですが、おそるおそる口にしてみたのにくさみもなくおいしかった印象が鮮明にあります。
その後も、何回が食べに行った記憶があるので。



日本ではなんでこんなにおいしい内蔵を食べることがないのだろうと残念に思ったのですが、日本でも食べている人たちがいたのですね。
冒頭の番組では、関西の漁師さんたちがお昼ご飯のために自分たちで料理していました。


検索してみると、ごんぐり煮という料理がありました。
「漁師町に伝わるマグロの胃袋料理」とのことです。
またこちらのサイトではマグロで食べられている部分について紹介されています。


「生のごんぐりは時間が経って古くなると匂いがきつくなってしまうため、冷凍技術が発達するまでは、獲れたてのものでしか作ることができなかった」(「ごんぐり煮」より)


私があの市場でおいしく食べられたのも、漁船内で冷凍したものやマグロの水揚げ港から生の内蔵がすぐに手に入る距離だったからなのかもしれません。


最近は近くのスーパーでもマグロのカマを焼いたものが時々売られているのですが、さすがに内蔵の料理は見たことがありません。
もう一度食べてみたいなと思っています。


<新鮮な魚を食べていた贅沢な日々>


当時ホームステイした家は、漁港や市場がある海岸沿いから2kmぐらい離れた地域でした。


朝になると、時々、その地域でも魚を売りに来ていました。
イワシやアジににた小さな魚が入ったバケツを持って、歩いて売り歩くのです。
中型漁船に雇われた漁師の家族のかたたちだったようです。


いつもは直接漁港近くの市場で魚を買っていましたが、時にはそういう人たちからも買っていました。


市場ではイワシに似た魚がざるに山盛りになって売られていて、当時、日本円にすると一山で20〜30円ぐらいだったと思います。
喜々として買って帰り、油で揚げて食べるのを楽しみにしていました。
少し大きめの魚は1匹をそのままココナッツの炭で焼き魚にして、塩とすだちのような柑橘類で食べました。


またさつまいもの葉を入れた塩味だけの魚のスープも、獲れたての新鮮な魚だからこそおいしかったのだと思います。


冒頭の番組でも漁師さんたちが魚を塩だけで煮付けたものを食べていて、うらやましく思いました。
凝った味付けや調理方法は必要がない、醤油さえもいらない、塩だけで食べられるというのは贅沢な毎日だったなあと。


新鮮な魚が手に入る漁港から、数キロ、10キロと内陸部に行くにつれて、その地域でも魚を手に入れることは難しくなります。
塩を利かしてガチガチに乾燥させた干物か、缶詰のイワシぐらいしかありませんでした。


日本と同じく四方を海に囲まれた地域だったのですが、新鮮な魚を安く食べられるのは限られた地域の人たちだけでした。
やはり日本では魚を食べ過ぎているのではないかと、ふと将来が不安になるこのごろです。






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