1980年代、入職時に公的年金と社会保険の大切さについて説明があり、年金は物価や収入に合わせてスライドさせていくという話があったように記憶しています。
世の中は右肩上がりの時代で、そのまま下がることを想像していませんでしたね。
ところが2009年からねんきん定期便が届くようになり実際の支給額が終の住処さえ入れない額であることに愕然としました。
金融リテラシーという言葉が必要な社会の雰囲気になり個人年金といううまい話が広がったけれど、貯金する方を選択しました。
ところがどんどんと銀行預金の利息が下がり、とうとう振り込み手数料のほうが利子よりも高いという銀行にお金を預けることがペナルティを課されるかのようになりました。
クレジット払いをはじめ短期的であっても借金になるような制度はできるだけ使わないようにしていたら、世の中と私の経済感覚はだいぶずれていたようです。
みなさんローンを組んで生活をされているかたが多いのですね。そりゃあ、ローンの利子は低い方がよいと感じることでしょう。そのバランスの結果が、低金利政策だったのかとようやく目が覚めました。
そして非正規雇用という「自由な働き方」がもてはやされた結果、これもそんなうまい話はなくて経験を積む機会が閉ざされ労働の対価としての適正な価格が下げられる結果になりました。
これからはキャッシュレス決済社会だと持ち上げられて日常生活の小さな買い物までキャッシュレスというローンの変形になり、少しでも安いもの少しでも得することがもてはやされるから物価も収入もあがらず、結果、年金もスライドされないままなのですね。
さらに、存在を証明するとポイントになるとキャッシュレス決済会社を潤し、現金そのものは社会に回らない仕組みが出来上がりました。
*現代の哀歌*
人の労働によって得たお金を回す仕事が潤い、その富を得た一部の人は社会にその富を還元しないばかりか、政治家を動かしてさらに社会からあの手この手でむしり取ろうとする。
政治家は富を人の福祉に使うことは孫子の借金になると脅かして規模縮小を図ろうとし、次々と打ち出す政策の聞こえは良いけれどこれまで築いてきた民主主義を嘲笑うかのような強権的な方法で人の生活を簡単に変えさせ、そしてさらにむしりとる。
国を築いてきた民を老いても働かせそして搾り取るだけでなく、富の偏在から目をそらさせ、社会の不満を老いた世代への憎しみに変える。
かかれば長い人生を苦しむ可能性もある未曾有の疫病は続いているのに終わったかのように見せ、慎重に社会を守ろうとする人の最低限の防具まで剥がそうとする。
「丁寧な説明」と言っていたのに、その根幹が邪教と切っても切れない関係が明るみに出るとたちまち豹変し、奸計を隠すこともない暴君に成り果て、その権力を手放さない姿をためらいもなくあらわにする。
社会に富が還元されないのはここ半世紀ほどの政治の結果であるのに政治は失敗を認めず、また新たな奸計を「結果を出す」と詭弁に詭弁を重ねることがこの国の政治の手法になった。
後の世に遺すべきは普遍性と平等性であるはずが、権力と富を好む言葉巧みな小賢しい人たちによって前に進むことが許されない。
これまでのこの国への信頼がことごとく豹変していく姿は悲しい。
なんだかふとエレミヤ書を思い出したのでした。
「鵺(ぬえ)のような」まとめはこちら。
あの日(2022年7月8日)から考えたことのまとめはこちら。
聖書についての記事のまとめはこちら。