思い込みと妄想 25 <自分は若い>

某県の教育委員会での障害に関する発言がいろいろとニュースになっていますが、その教育委員の方が71歳ということに驚きというよりも、むしろその年齢だからこそなのかもしれないと思いました。
いえ、あくまでも推測ですけれど。


「主観年齢」ということばが学術的にどうなのかといった詳しい知識は全くないのですが、この言葉を知ったのは数年前でした。
両親が年老いていく現実のなかで、認知症の父に対しては淡々と受容することができましたが、母に関しては過去からの親子間の葛藤や母自身が自分の老いや障害に備えていないことなど、さまざまな感情の渦にこちらが陥りそうになりました。


なんて老人は身勝手なのかと。


そんな何かに突き当たった時は、まず書店や図書館へGOという私なのですが、そこで「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす」(佐藤眞一氏、光文社新書、2011年12月)という新書を見つけました。


帯には「なぜキレやすいのか」「なぜ耳が遠くても悪口はすぐに気づくの?」「なぜ妻と死別した夫は再婚したがるの?」「なぜいつまでも運転したがるの?」「なぜわがままな人は長寿なの?」「なぜ先が短いのに明るく振る舞えるのか?」、そして「超高齢化社会ニッポンの必読書!」とありました。


ホントに、母はこちらがいろいろ説明しても面倒と思う時には「聞こえない」と言います。
「え?聞こえているんじゃない」と驚くほどの聴覚を見せるときもあるのですけれどね。



さて、「はじめに」はこんな文章が書かれています。

はじめにーわけがわからないご老人の行動には、理由(わけ)がある


 あなたは、ご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?と思うことがありませんか?
 たとえば、もう先が長くないのに、そんなことは気にもかけず、毎日楽しく暮らしている人、誰が見ても反射神経や判断力が低下しているのに、頑に車の運転をやめない人、些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒っている人・・・。ご老人たちの行動は、謎だらけです。


両親との関係だけでなく、ここ10年ほどで急激に増えたプールへ通う高齢者の行動を見ていても、最初は「マナーが悪い、配慮のできない老人が増えたのか」と思っていました。



この本を読んで、年をとるということがそういう行動になっていくのかと、少し見方をかえることができたのでした。


<主観年齢とは>


「主観年齢」については、「自分の年齢を決めるのは自分」(p.26〜)の中でこのように書かれています。

 現代の日本では、60代で自分を老人だと思っている人は、いないといってもよいでしょう。見た目にも若いですし、気持ちも若いのです。2008年から2011年にかけて地球一周マラソンをした間寛平さん(1949年生まれ)のように、壮大な冒険にチャレンジする人もいますし、大小さまざまな新しいことにチャレンジする人は大勢います。
 しかし、そのようなチャレンジに拍手を送る一方で、「年寄りの冷や水」と感じることもあります。明らかに体力が落ちているのに、若い人にまじってふらふらになりながら激しいスポーツをしている人、体型が変わっているのに、若いころに着ていたのと同じようなデザインの服を着ている人、若者向けの店に行って、浮いているのに気づかない人など、いったいなぜ、彼ら彼女たちは、そのような年寄りの冷や水をするのでしょうか?そして私たちはなぜ、それを年寄りの冷や水と感じるのでしょうか?

 この謎を解く鍵は、「主観年齢」にあります。前項で、人の成長や老化は1年に一定量ずつではないこと、大人になってからはフラットな状態が長く続くことを述べました。さらに、人は老いることを基本的にはネガティブにとらえているため、年をとりたくないという気持ちが働きます。それらが相まって、自分が感じる自分の年齢、すなわち主観年齢は、暦通りに1年に1歳ずつ増えてはいきません。人の年齢には、1年に1歳ずつ増える暦年齢(実年齢)のほかには、自分が自分を何歳かと思う主観年齢があるのです。


私が働いている看護の職場も20代から60代まで幅広い年齢層です。年代によってある程度の経験量に差があるのですが、実際の日々の仕事はチームワークですから、時々自分の年齢がわからなくなるような錯覚があります。
ふと20代や30代だった頃の自分の気持ちのまま働いているような、そんな感じです。


それはそれでいいのですが、「そのつもり」になったままでは危ないなと思うこともありました。
それがこの「主観年齢」に通じることだったのかもしれません。


その本にはアメリカでの主観年齢と実年齢の差の調査結果が書かれていました。

50代:男性11歳〜12歳、女性17歳〜18歳
60代:男性15歳〜16歳、女性22歳〜23歳
70代:男性19歳〜20歳、女性28歳


本当に、50代の私も時々30代ぐらいの気分のままのことがあります。
そしてこの主観年齢は年を重ねるごとに、実年齢との差が大きくなるようです。
わあ、本当に注意しなければと思ったのでした。


<「老化=障害」を直視していないのかもしれない>


女性だと、お肌の曲がり角や更年期という段階で、老化を切実に感じ始めるのではないかと思います。
ただ、それ自体はまだ生活上の障害になるわけではなく、むしろ精神的な動揺あたりかもしれません。


幸いに健康一筋だった私がリーデインググラスなしには、物が見えなくなりました。
初めて視力障害という障害とつきあっていくことになりました。


次には、地獄耳だった聴覚も衰えていくことでしょう。
今は、新生児の心臓の鼓動を聴診器で当たり前のように聞いていますが、それもできなくなる年齢が来ることでしょう。


健常と障害には境界線がないのではないでしょうか。


障害についての発言をされた方は、主観年齢がまだ40代ぐらいで自分の老化を直視できていないのかもしれない、とふと思ったのでした。




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