ケアとは何か 23 <ケアへの要求が高ければ、ケアの質も高くなる>

今年に入ってがくっと体調を崩した母は、それまで暮らしていたサービス付き高齢者住宅をでなければならなくなりました。ショートステイ的な施設で待機して、思ったより早く特別養護老人ホームへと移ることができました。


40年ほど前、日本にボチボチと特別養護老人ホームが出来始めた頃からのことを思うと、まるでちょっと小洒落た山のホテルに来たかのような建物で隔世の感ありという感じです。


私が高校生の時に手伝いに行っていた時のような、大部屋にずらりと寝たきりの老人がいて、消毒薬と排泄物が交じった独特の臭いがある施設とは大違いです。
ユニット式といって10人ずつがグループになっていて、広いリビングを囲んでトイレ付きの個室があります。
広い窓からは、山並みがきれいに見えます。


寝たきりの方もいらっしゃいますが、ほとんどの方が車いすで移動しています。
ユニットの外に出るのも自由ですし、体操とか手芸の時間もあって参加も自由です。
入浴介助も週に数日ありますし、洗濯も毎日してくれるそうです。


別の階にはレストランと売店があって、施設の食事をキャンセルして、そこで食事をとるのも自由です。


歯科・内科の先生が往診で来てくださるので、それまでのように介護タクシーを使って家族が付き添って受診する必要もなくなりました。
看取りも対応してくださるので、おそらくこんどこそ母の終の住処になることでしょう。


高齢化社会を経験しなかったら>


とてもおおざっぱなくくり方ですが、高齢者介護と幼少時から障害を持って生活されて来た方への介護とは大きな隔たりがあるかもしれないと、最近思うことが増えました。


幼少時というのは誰でも、こちらの記事で紹介したケアの定義のように基本的欲求については「依存的な存在」ですが、幼少時から障害を負っている場合には、そこから自立の可能性を模索していくことになります。


ところがそれに対して、多くの高齢者は「一度は自立した生活を経験し、それを手放す段階」と言えるのかもしれません。
それはすでに40代頃から少しずつ始まり、たとえば遠近ともに視力が良かった私は老眼と直面して初めて目が不自由であることの大変さを実感し始めました。
そして両親それぞれが、次第に緩やかに、時に急転直下のようにそれまで維持していた身体や生活に対する能力を失っていきました。
いままで自分でできていたことができなくなるという葛藤は、高齢者には誰でも起こりうる発達課題とも言えるのかもしれません。


健康で自立した生活を送っている時というのはどこかに万能感があって、障害があるということがどういうことなのか理解しているつもりでも看護職でありながらやはり他人事だったのかもしれない、理解するというのは本当に難しいと痛感しています。



高齢化社会」というと、「若い世代の負担が大変」とか「少子化が問題」といったネガティブな表現とともに語られやすいのですが、最近、私は少し違う視点からあれこれ考えています。


それは、「一旦、自立した生活を経験していた人たちだからこそ、ケアへの要求が高くなり、ケアの質も高められる」というあたりでしょうか。



介護という言葉が広がり出したのは高齢化社会が言われ始めた1980年代ごろではないかということを書きましたが、高齢になればなるほど、それまでは心身の障害と無縁だった人でもなんらかの障害を持つことになります。


幼少時から障害がある人やその家族がなかなか「こうして欲しい」ということを社会に伝えられず「問題が私的領域に留まりケアされる側が沈黙する状況」になりやすいのに対して、高齢者であれば以前の自立した生活に近づきたいという要望が強くあり、それを社会に向けて伝える手段もあります。


たとえば人口の3分の1が高齢者であれば、人口の3分の1がなんらかの障害を持っている社会とも言えるでしょうから、高齢化社会の葛藤や経験もまたケアの変革の大きな原動力になっているのかもしれないと思えるのです。




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