10年ひとむかし 5 <葛西臨海公園>

天気も良い日に昼からポッと時間が空いたので、海辺でビールを飲もう!葛西臨海公園に出かけました。


房総半島がずっと遥かに見える浜辺のベンチに座って、ぼーっと至福の時を過ごしてきました。
平日は人も少ないので、ただただ波の音、風の音を独り占めという感じです。


Wikipedia葛西臨海公園の「沿革」を読むと、1970年に東京都海上公園構想ができ、1984年に葛西臨海公園基本計画策定、そして1989年(平成元年)に葛西臨海公園の一部開園、葛西臨海水族園の開園とあります。


1980年代後半に、たまたま江東区江戸川区を行き来することがあって、近くの海辺に大きな公園ができるらしいという話までは記憶にあるのですが、その後は私の意識にその名前がのぼることはほとんどないまま20年ほどが過ぎました。


再び、葛西臨海公園が気になりだしたのは、2007年にインターナショナル・スイムミート2007が千葉国際プールで開かれて、その4日間、千葉まで通う途中で葛西臨海公園駅を通過したことがきっかけでした。


いつか来てみようと思いつつ、その後は親のことや東日本大震災などで機会がなかなかありませんでした。


ふと思い立ったのが2年ぐらい前のこと。


その広大な敷地は半日ぐらいでは歩けないほどでしたが、あの時はまず水族園へ。
そしてまたいつか、この公園の浜辺でビールを飲みながら「何もしない日」を作ろうと決めていました。


葛西臨海公園の歴史のようなもの>


1980年代ごろの江東区江戸川区の海辺というと夢の島のイメージしかなく、そこから房総半島にかけての臨海工業地帯では大気汚染や海洋汚染がひどいイメージしかありませんでした。


椎名誠氏の本を読むようになって千葉県にかけて貴重な干潟や湿地があったことを知りました。
また、中村征夫氏の「全・東京湾」を図書館でたまたま手に取ったことで、東京湾も捨てたもんじゃないなと見直すきっかけになりました。
ゆりかもめが開通する前の、おしゃれなお台場もまだない頃でした。


葛西臨海公園があったあたりは、以前はどんなところだったのだろうと気にはなっていました。
公園とはいえ、大きな開発には立ち退きとか地元への影響があったことでしょう。


一般社団法人東京建設業協会のサイトに葛西臨海公園の説明があり、その中の「海との深いつながりをもってきた葛西地区」に歴史が書かれていました。

現在の葛西臨海公園がある葛西地区は、かつては陸地であり、多くの人々がその土地を共有していたが、地盤沈下が激しく、水面下に没してしまった。昭和22年(1947)キャサリン台風、続く24年(1949)キテイ台風で被害を受け、昭和32年(1957)に高潮の被害を防ぐ為の海岸堤防が完成するものの、河川による外との分断・孤立に加え、道路や鉄道がなく、さらに低湿地のため常時水が溜まり、葦のみが茂る未利用地となっていた。昭和36年(1961)頃になると、東京オリンピック関連の建設ラッシュによる残土捨てなどにより、ますます荒廃していったのである。

なるほど、まだまだ日本で大規模な水害になすすべもない時代、そして水を制御する技術がない時代に、あのあたりは人が住めない土地になっていたのですね。


 昭和30年代末になると、そうした葛西沖地区を含む三つの海域、合計約6百ヘクタールの埋め立て計画が進められていく。未開発だった交通網についても、昭和20年代には、放射16号線(地区北端)、環状7号線(地区東端)、補助140号線(荒川堤防沿い)が完成している。昭和40年(1965)には湾岸道路が都市計画決定され、同年にJR京葉線が構想され、昭和44年(1969)には地下鉄東西線が開通した。

 葛西沖を埋め立てて開発しようという動きにとって、いかにも機は熟したかに見えた。しかし同時に、自然環境保護の機運が高まりを見せる時代背景もあった。単なる開発のための埋め立て計画は、時代の要請にそぐわない。
 葛西沖地区は、昭和30年代中頃までは、冬場は「葛西ノリ」、夏場はアサリ、ハマグリなどの魚介類の水揚げがあり、漁業が行われる場所でもあった。また、潮干狩り、海水浴、ハゼ釣り、船遊びなど、都民に親しく利用される場所でもあった。さらに東京では唯一、自然のままで残された貴重な海岸である。沖合の三枚州はハゼなどの魚類の産卵場所であるとともに、渡り鳥の飛来地でもあった。

 葛西臨海公園は、埋め立て造成によって実現した、人工の自然公園である。しかし周到な計画と整備事業によって再生を果たした本物の自然と親しみ、観察するおもしろさを味わうことができる。海辺の生物や魚類、鳥類などを介した自然との交流、コミュニケーションを楽しむこともできる。


20年前にはまだ苗木だったでしょう木々がうっそうとした森を作り、敷地内を歩いていると東京にいることが信じられないくらい静かです。


夕日が落ち始め、丹沢連邦の向こうに富士山がくっきりと見えました。
夕日を見ている人、散歩をしている人。
のんびりとした時間が過ぎていきました。
まるで「世界ふれあい街歩き」のシーンのようでした。




「10年ひとむかし」まとめはこちら