10年ひとむかし  61 荒川放水路のヨシ再生

吹き飛ばされそうな強い冷たい川風に向かって荒川堤防を歩いている時に、昨年の台風による堤防の修復工事かと思った場所に「ヨシの再生事業」という表示がありました。

 

現在の荒川は人工河川ですが、場所によっては広い河川敷が遊水池になっていて木が茂っていたり、ちょっとした自然の雰囲気があります。

ただ、下流に向かうにつれて水量も増え、葛西臨海公園のそばの河口付近ではコンクリートに護岸された河岸ぎりぎりまで滔々と水が流れていて、河畔には「自然再生」の土地の余裕がないイメージです。

 

荒川放水路のヨシ再生事業とはいつ頃から、どんな目的で始めたのだろうと検索してみたところ、荒川下流河川事務所が2011年に出した「荒川放水路変遷誌」という資料が公開されていました。

 

その6章の中に「荒川放水路の自然地再生」として説明があります。

 開削当時、人工的な河川であった荒川放水路は、地盤沈下や浸食、堆積などにより長い年月をかけて多様な自然環境を有する河川となりました。

  平成8年(1996)には、「荒川将来像計画」が策定され、荒川放水路の自然環境を保全・再生するさまざまな取り組みが進められています。

 

荒川放水路の自然再生の取り組み 

 荒川放水路において、特に重要な生物の生育環境と位置付けられるものは、干潟とヨシ原です。これらの2つの環境については、積極的に保全や再生の取り組みが進められています。

 

あの30年ほど前には埋立地で何もなかった葛西臨海公園のあたりに、水鳥や魚が集まる人工の干潟がまるで「昔からある」かのように美しい風景になっています。

あの干潟と、このヨシが繋がっていたのですね。

 

ヨシ原の再生 

 荒川放水路では、船が通る時に川岸に寄せる波(航走波)によって、岸が削られ、水際のヨシが少なくなっている部分があります。

 小松川自然再生事業では、波を弱くする対策を行うことで、ヨシ原の再生と保全を行ったところ、魚や底生動物なども以前より多くの種類が得られるようになりました。

 また、航行ルールをつくり、ヨシ原が連続している場所は「減速区域」と位置付け、自然環境に影響を及ぼさないように原則する区域を示す標識を掲げるなど、船に対しても注意を呼びかけています。

 

川のことを何も知らなかった30年ほど前は、ただの雑草が生い茂っているぐらいにしか見えなかったのですが、環境という言葉の広がりとともに、こうした生物それぞれの存在の大切さを感じるようにはなりました。

それでももし、1996年にこの「荒川将来像計画」を読んでいたとしても、きっと「公共事業の予算獲得のため」という見方しかしなかったろうなと、過去の自分の無駄な正義感に恥じ入っています。

 

あの頃から干潟やヨシを保全しようという計画ができて、こうして現実になっていったのも、多様な角度で社会を観察し続けてきた人たちの、正確な知識の積み重ねによるものだったのではないかと思えます。

 

ヨシや干潟を観察し続けることもすごいですし、船の波がヨシに与える影響を観察し続けたということ、これが専門性なのですね。

そしてあの寒い川風の中あるいは真夏の暑さの中、水辺で保全や再生事業に従事する方々がいらっしゃってこそ、ですね。

 

 

荒川放水路ができてもうじき100年になりますが、強固な人工の川であるだけでなく、自然も造られていく川でもあったのだと、散歩をして気づいたのでした。

 

公共事業だけでなく何にしても、一世紀とか二世紀といった長さで考えていくことが大事かもしれませんね。

 

 

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