散歩をする 2 <道を記憶する>

「散歩をする」は不定期に記事になりそうなので、続き番号にしてみました。


私はどうやって道を記憶しているのだろうと考えています。


地図を見るのも好きですし、目的地までの道順の目星をつければ初めての場所でもだいたいたどり着くことができるので、結構、地理感覚があるほうではないかと思っていました。


でもその割には、電車の車窓から幹線道路が通っているのを目にしても、あの道がどこへどうつながっているか思い出せないのです。
頭の中の地図では、途中で道が途絶えて白紙状態という感じ。


ところが昨日の記事のように一度歩いてみると、幹線道路がどうつながっているのか、それが線路とどのような関係になっているのかなど、頭の中の地図が完成されていきます。


日頃、車を運転している人なら幹線道路を中心に道を覚えているかもしれませんが、私の場合は鉄道を中心にして近郊の道を認識しているのかもしれないと思います。


<ランドマーク>


日本でもランドマークという言葉をよく使われるようになりましたが、私がこの言葉を耳にしたのは1990年代に東南アジアの村々を行き来していた頃でした。


そこでは地図というものを使わないだけでなく、土地に対する感覚がまったく異なっていたことは「地図」「地図があることとないこと」 に書きました。


私から見たら、何も目的物がないようにみえる熱帯雨林の道なき道を進んでいきます。
なんの変哲もない岩や樹を指して、「あれがランドマーク」というのを何度も聞きました。
岩ならまだしも、樹なら成長したら変化してわからなくなるのではと心配になります。


「(大丈夫かなあ〜)」と心の中でびびりながら後をついて行くと、ちゃんとそこに集落が現れるのでした。


また、こちらの記事に書いたように、地元の漁師さんたちの船に乗せてもらう機会が多かったのですが、沖合にある人工漁礁にも連れていってもらったことがあります。
エンジンだけがついている小さな漁船で、もちろんGPSなんてありません。
海に出て30分もすると陸地が遠くに見える程度になるのですが、どこかにランドマークがあるらしく、ちゃんと沖合の人工漁礁にたどり着きます。
しかも、他の漁師さんのではなく自分の人工魚礁です。


あ〜あ、こうして人は大昔から山たてをしながら魚を捕りに出かけていたのかと、惚れ惚れとしながら漁師さんたちの動きを見ていました。


そうやって海へ山へと自由に移動する人たちと一緒に生活していると、自分の地理感覚なんて本当に未熟だなと痛感しました。


<ランドマークを記憶する>


熱帯雨林や海を移動するわけではなくても、日常のなかでもつねに何らかの目印を頼りに移動しています。
それを感じるのは初めてその場所に行った時から2〜3回ぐらいの間でしょうか。


たとえば新しいビルに入ったときにも、エレベーターやトイレの位置あるいは目に付くお店などをいつの間にか記憶して、次の時にはだいたい同じルートをたどることができます。


当たり前のようにしていたことがすごい能力であることを、父が認知症になって初めて気がつきました。


道がわからなくなるというのは、比較的早い時期から出る症状ですが、本人にとっても不安が大きいことだと思います。
手で記憶するに書いたように、散歩の途中で電信柱や石垣を触って確認していたのも、あれは父が道を忘れないための行動だったのではないかと思えるのです。


今は、あれほど好きだった散歩に誘っても「いいよ。ここにいよう」といいます。
山の見える暖かいホールで大好きなコーヒーを飲むためには、閉鎖病棟から出てしばらく廊下を車いすで移動する必要があります。


そのホールに行くと、「ほう、こんなにいい場所がここにあったんだね」と毎回、初めて来たようによろこんでくれます。
ところが、そこに行くまでに病棟から出ようとする時には、とても緊張した様子になるのです。


あるとき、ふとひらめきました。
父にとってはこの病棟内が落ち着いた生活の場で、そこから出ることは、リハビリとか他の病院への受診とか、不安と緊張を連想することなのではないかと。


父にとってはそのわずかの距離の廊下が、楽しい場所に行くか、緊張する場所に行くかのランドマークになっているのかもしれません。





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