散歩をする 347 輪中公園と立田輪中人造堰樋門

水郷公園木曽川を眺めたあと、地図で見つけた輪中公園に向かいました。

中学生か高校生の頃に「輪中」を学び、川の中に土手で囲まれた村がありそこで生活していることが印象に残りましたが、そのイメージのままで止まっていてほとんど知らないことだらけです。

 

*輪中公園*

 

水郷公園を出て、南東へと100mほど歩くと、木曽川との水門があり小さな船溜りがありました。

その船溜りより高い位置にある道から、少し下り坂を降りて住宅街へと入るとそこに輪中公園が長細く広がっています。

木々が植えられベンチがあり、一見変哲のない公園です。水路が見え始め、その先に、高さ数メートルでしょうか、石積みの堰が見えました。その向こうは、「輪中の郷」という特別老人ホームのようです。

 

公園内には説明板が見つからなかったのですが、弥富市歴史民俗資料館でもらった「弥富市文化財」というパンフレットに説明がありました。

立田輪中人造堰樋門

 

明治時代に輪中の排水に苦慮した立田輪中普通水利組合は、木曽三川改修工事の行われた明治35年にこの樋門を完成させた。しかし、排水の効果は十分に得られず、結局筏川を使って排水することになった。その後は用水の取水に利用されたが、海部幹線水路の完成により遊休樋門となった。立田輪中の好意により旧弥富町が権利を受け継ぎ、水利史の遺跡として輪中公園の中に保存している。

 

これもまた失敗の記録とも言えるのでしょうか。

 

*昔の堤のような場所を歩く*

 

せっかくここまで来て、輪中公園から弥富駅に同じ道を引き返すのはもったいないので、もう少し南東の水田地帯まで1kmほど歩き、コミュニティバスで駅まで戻る計画を立てました。

立田輪中人造堰樋門の先は蛇行した、自動車が1台通れるくらいの車道が描かれています。

 

その道は、右手は果樹と湿地、左手は水田地帯と集落の間を通る土手のように高い場所にありました。

もしかしたら、昔の輪中の土手を利用しているのでしょうか。

その右手側は三重県との県境がある、不思議な場所です。

 

誰も歩く人のない道をしばらく歩くと、森津の藤バス停に到着しました。

目の前に古い屋敷があり、そこに「正保4(1647年)の森津新田開拓当時に植えられたとされている」(「弥富の文化財」)天然記念物の大きな藤が植わっているそうです。

バスが来るまで時間があったので、屋敷の中で休憩しました。

 

コミュティバスでぐるぐると弥富の水田地帯と街を眺めながら、駅に到着しました。濃い灰色の瓦屋根と、広々とした風景で落ち着いた街でした。

 

帰宅してから地図を見直して、森津のバス停前にあった建物が、長良導水の中継地である弥富ポンプ場であることに気づきました。

あの時は空腹と歩き疲れで、集中力が途切れたのでした。痛恨のミスですね。

 

ただ、なんとなく地図で見つけた場所をたどっただけで、いろいろな歴史が繋がったのでよしとしましょう。

 

 

「散歩をする」まとめはこちら