気持ちの問題 18 <「母になる」こと>

時々、母のことになるとちょっと辛辣なことを書いていますが、今80代ぐらいの母の世代が「母になる」頃は、まだ自己実現とか自己愛なんて言葉もなかった時代でしょうから、母の背をみているとその中での葛藤が見えてくることがあります。


私のアルバムを見ると、小学生頃まではほとんどが母の手作りの服でした。
小学校の入学式の写真は、ブラウスからブレザー、スカートまですべて母が縫ったものです。
白いブラウスの襟には細いレースが縫い付けられていて、キラリと光る小さな貝ボタンがついていて、それを着て入学式に行く日を楽しみにしていた気持ちは記憶にあります。


それ以降も、ワンピースやスカートは手作りでした。


家にはデザインの雑誌や型紙がたくさんあって、「今度はどれをつくって欲しい?」とよく聞かれました。
だんだんと友だちが着ていた既製品のスカートがうらやましくなって、それに近いものを頼んだのですが、結局は母が好きなデザインや柄のものができ上がっていました。


小学校の卒業遠足につくってくれた服はおよそ子どもらしくない花柄のワンピースで、母はとても満足していたようでしたが、私は一日中なんだか落ち着かない気持ちでそれを着ていました。


中学生になると、おそらく「服は自分で買う」と宣言したのだと思います。それ以降は、お小遣いをもらって、自分で選ぶようになりました。



その頃から、もともと和裁が上手だった母は「あなたのために」と今度は着物をつくるようになりました。
「私はあまり着物は着ないから、私のために買わなくていいよ。お母さんの着物を買ったら?」と何度も言ったのですが、「娘のために反物を選ぶ」ことを続けました。


今、誰も住んでいない実家のタンスには、私のために作って一度も手を通したことのない着物が何枚もあります。


母の世代は、「自分が楽しんではいけない」「子どものためにならよいこと」という呪縛のようなものが強かったのかもしれません。
本当は自分のために選びたかった服や着物ですが、娘のためと言えば買える・・・そんな感じ。


あるいは母の時代にも、「これがよい母」のようなイメージが社会のなかにあったのかもしれませんね。


<「母になる」ファッションが繰り返される>


子どもが生まれると、自分と自分でない子ども(他者)との間で、「それは誰のためか」と常に意識されているのかもしれません。


子どものためにと思っていたことが、実は自分のためであった。
そんなことを後で気づいたり、子どもからみたら親の未熟さにも見えて葛藤が生じたりすることもたくさんあると思いますが、それが現実なのだろうと思います。


たいがいの人は、子どもは自分から生まれていてもそれぞれ別の人生であることで、距離をおけるようになっていくのではないかと思います。


以前紹介した、カリール・ジブラーンの「あなたは弓である」のように。



ところが、「それは子どものためか、自分のためか」というブレーキをかけにくくするような、「母になる」ことのファッションが形を変えながら繰り返されているのかもしれないと思えるような記事がありました。



わかりにくい話ですね。
次回に続きます。





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