記録のあれこれ 88 人生の年表を作る

先日、棚から一冊のノートが出てきました。

表紙は記憶にあるのですが、何を書いたものかは全く思い出せません。

 

最初のページは「2003年11月  手紙が1~2回/月に届くようになる」と書かれています。

その次は1年飛んで、「2005年1月  年賀状届かず  認知症のため専門病院受診」と書かれ、そこからは父の様子についての記録が細かく続いています。

記録魔は母譲りですが、書いた私自身が忘れてしまっていたノートでした。

 

1週間の間に2通も3通も手紙が来たあと、じきに母が父を専門病院へ連れていったのが2005年だったようです。

自分で記録しておきながら、本当に記憶はあいまいですね。

 

当時は「服の場所がわからなくなる」とか「出かけ先でトイレの場所がわからなくなる」などあったようですが、記録をみると、そんな父を連れて母は北海道や九州、全国あちこちを旅行していたようです。

2006年には両親が「小平まで墓参りに行った」ことが書かれているので、まだこの時に父方の祖父は小平霊園に眠っていたようです。30年ぐらいでお墓も引っ越したと書いたばかりですが、半世紀ほどは小平霊園だったことになります。

いやはや、本当に記憶はあいまいなので、正確に記録することは大事ですね。

 

冒頭のノートは、時々電話で母から様子を聞いていたことを、看護記録のような感じで記録していたのでした。

 

さて、この父の様子を書いたノートは、残念ながら2007年でばたりと終わっています。

なんとなく父の状況に慣れてきたのかもしれません。

 

再び、別の手帳に書き始めたのは2011年からでした。

今度はそれまで父の世話をしていた母が手術で入院、施設へ転院し、父と母それぞれの生活の場が大きく変化した年でした。

 

特に、母が術後の半身麻痺から回復していく変化を書き留め始めました。

最近はあまりその記録を読み返していなかったのですが、このノートが出てきた後にまた読んで見ました。

簡単だけれど、月日と何があったか書き留めるだけで、人生の年表になりそうです。

 

ちょうど咋年末から、私自身の毎日の行動を書き留めた手帳から1年の中で特記しておくようなことを抜き書きして、自分の年表のような記録を作り始めていました。

 

誰に必要とされているわけでもない私の年表ですが、いい加減な記憶のままブログに何かを書かないための覚え書きです。

 

 

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