気持ちの問題 20 <清潔・不潔に感じる境界線の変化>

昨日、たまたまつけたニュースで、「売り上げNo.1のフライパン」を紹介していたのですが、「卵焼きを吹くだけで盛りつけられる」という内容にちょっとびっくり。


検索すると、セラフィットというフライパンのようです。
まあ、たぶん本当に息を吹いて薄焼き卵を飛ばす人はいなくて、「いかに焦げつかず、すべるようにはがれるか」のCM上の演出なのだと思ったのですが、本当に吹き飛ばしている人もいるようです。


それでも食べものに息を吹きかけるという発想に、ちょっと「わあ〜」となったのでした。


こちらの「畳や床のお産、清潔・不潔」に書いたように、途上国の市場や屋台などでも、水や生ものさえ気をつければ平気な私ですが、1990年代の院内感染予防対策の広がりとともにふだんの生活の中での意識もだいぶかわりました。


<「手や息は不潔」という認識の広がり>


その中でも、手洗いとマスクの正しい着用方法というのは、1990年代以前の医療機関でさえあまり根拠のある説明がない部分でしたから、正しく実施しなければ「自分自身が感染源にもなる」ということが明確にされた印象がありました。


そして使い捨てマスクの広がりとともに、医療従事者だけでなく食品加工業者や食品販売、調理関係者にも、マスクやデイスポ手袋の着用が広がりました。


最初の頃は、デパ地下などの食品売り場でマスクをしていると違和感があったのですが、最近ではしていない方が気になります。ましてマスクをしていないのに、食品の上でおしゃべりをしていると、「あ〜唾が・・・」と雑菌が飛散していく様子を想像してしまうほどです。


そういえば以前、テレビ東京の「男子ごはん」の海外ロケでフィリピン編がありましたが、日本のマスクとは違って、透明のプラスチック製のマスクをしている様子がありました。
トランスマスクというのですね。


ちょっとおしゃれと一瞬思ったのですが、熱い国だから口全体を不織布で覆うマスクは不人気なのでしょうか。


ほどなくして、都内のあるお店でも使っているのを見ました。
でもしゃべった時に唾液が飛んだあとが見えてしまうのではないか、など細かいことが気になってしまいました。


<「髪の毛は不潔」>



1990年代の院内感染予防対策の中で、それまであまり言われたことがなかったのが「髪の毛や鼻の周辺は不潔。手洗いしたあとには触れない」ということでした。


食品や調理に関係する人が鼻のあたりを無意識に触れているのを見ると、「(あ〜〜、すぐに手を洗って〜〜)」と思います、


またたとえ、どんなに洗い立てのさらさら〜のきれいなイメージの髪の毛でも、医療上では触ったら「不潔」という認識です。
もちろん、生活上ではそこまで厳密に考える必要はないのですが。


ただ、この意識が染み付いたので、電車内などで人の髪の毛が触れることに以前にも増して抵抗感を感じるようになりました。
隣りに髪の毛を縛らずに長いままの人が近づくと、「わあ〜」と引きたくなるのです。
反面、世の中の人は結構、自分の長い髪が隣りの人にあたっても気にしていないのですね。



<「床は不潔」>


冒頭でリンクした「畳や床の上のお産、清潔・不潔」に書いたように、床から20cmは不潔と言う認識も医療関係でさえ、ここ20年ほどで広がったものです。


それまでは床に置いたら「土やほこりがつくから汚い」ぐらいの気持ちでしたが、私の中では「不潔」に変わりました。


でもこの「床の上」に対する気持ちも、世間とはずれがまだあるようです。
先日も食品売り場で、「袋がもったいないからこの中にいれてください」と床に置いていた紙袋をカウンターに置いた人がいました。
後ろに並んでいたのですが、そーっと側を離れました。
あの後、店員さんがあのカウンターをきちんと拭いてくれるように祈りながら。



医療上の清潔・不潔と生活上の観念との差に、どこまでなら許容範囲かということに戸惑いを感じることはあります。
生活上ではあまり神経質になっても、それはそれで行き過ぎるだろうなと。


ただ、食品や食器・調理器具を製造・販売する側は医療と同じ視点のはずなので、冒頭の息を吹きかける演出はまずいのではないかと思いました。





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