鵺(ぬえ)のような 3 観測気球

一転して酒類の販売を中止するニュースを追っていたら、その前に会場でアルコールを販売するというニュースが「観測気球」だったと書かれている記事を目にしました。どの記事だったのか、見つからないのですが。

 

「観測気球」

私がこの表現を耳にするようになったのは、ここ1~2年です。

何の件だったのか思い出せないのですが、政府が決定事項を発表すると反対意見が集まって、わずか数日後には一転して中止になりました。

一見、民主的な方法なのかもしれませんが、なんだか違うなあと感じて社会の反応の一部としてのtwitterをちょっと覗かせてもらいました。その時に、「観測気球」という言葉があり、なるほどそういうことなのかと、初めてその仕組みというか裏側を知ったのでした。

 

観測気球と聞くと本当の気球しか思い浮かばなかった私は、なんと社会のことを知らなかったのでしょうか。

 世論や相手の反応などを探るために、わざと流す情報や声明

デジタル大辞泉

 

こういう手法が有効な場合もあるかもしれません。

 

 

ところが未曾有の感染症が拡大し続けているこの時期に、こうした手法はますます混乱をもたらすのではないかと感じました。

 例えばマスクひとつとっても非常時には最初の基本的な知識が肝心で、そこがうやむやになると、「食事中の会話はマスクをして」という話が「あごマスク推奨」の話になってしまいます。あごマスクは医療の中の清潔・不潔では「やってはいけない」ことなのに、一旦ニュースで広がると、それを訂正するのは大変ですね。

 

twitterが広がりだして10年ちょっとですが、たとえば何かのニュースや話題をテレビで報道しているのを観ても、「あ、これはネットで知っている」ということが増えました。

災害時の状況をその場にいる人が動画で知らせるなんて、少し前までは考えたこともない報道の方法でした。

最近では「炎上」したり「SNSで話題の」といったことからニュースが作られているのを見ると、危ないなあと感じます。

 

とりわけ今のような非常時に、言葉の意味だけでなく、あらゆるリスクまで思い浮かべられる専門家の大事な見解を、人の好みや理想で言ったもの勝ちの風潮にしてしまうのではないかと危惧しますね。

 

観測気球をあげてそれに反応する人は誰なのか。

観測気球に頼っていると、現実の解決方法を積み上げてきたものが壊され、シュールな世界が広がって足元をすくわれることになるのではないか。

やはり危なっかしい方法だと、今回の件でも猜疑心の方が残りました。

 

 

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