母乳育児という言葉を問い直す 20 <「母乳育児」と「医学的根拠」の矛盾>

こちらの記事の最後は、以下のように締めくくられています。


 母乳育児を推進する日本ラクテーション・コンサルタント協会の奥起久子・教育研修事業部長(小児科医)も「日本独自の表現」とみる。母乳育児を軌道に乗せるには、生後すぐに頻繁に授乳し母乳の分泌を促すことが大切だが、「母親たちにミルクをあげたら失敗だと思わせてしまうのは望ましくない」とも指摘する。

 水野教授は「母親自身が自分の授乳方法に納得し、自信を持てるかが一番重要」と強調する。「助産師らは母親の意思を尊重し、経験や信条ではなく、必要なら検査データーや医学的に根拠のある説明をして、支援しなければならない。

こういう時代のモード、社会の気分とでもいうのでしょうか、はどんな風にかたち作られてきたのでしょうか。


<観察と検証というシステムがない>


2000年代に入ると、「母乳育児支援」関連の本が増えました。
「科学的根拠に基づく」と書かれていはいるのですが、最も知りたい新生児の変化について書かれたものは相変わらずありません。


出生直後から刻々と啼き方も吸い方も変化している新生児のパターンを分類・分析されたものは、まずありません。
わずか3日ほどで胎便〜乳便に劇的に変化するのはなぜなのか、その間ほとんどのお母さんの母乳分泌が抑えられているのはなぜなのか、なぜ生理的体重減少や生理的黄疸が高めの時期の新生児は深く吸わないのか、なぜそういう時期にはミルクを足しても体重が増えないのか・・・。
あるいは初産と経産のお母さんや赤ちゃんの変化の差とか。


そのあたりがもう少し観察されれば、「出産直後から頻繁に吸わせることで母乳分泌を促す」ことだけが答えではないとわかるはずなのに、と歯がゆい思いですね。


「出生後2〜3日、あるいは出生後2〜3週間ぐらいはミルクを補足したほうがよい新生児」がいることは「経験上」わかっているのに、それさえも具体的に方法が明文化されない。


それを阻んでいるのは何か。


それは対象(新生児)の変化が観察されていないことと、従来からの「新生児像」の検証が不十分だからではないかと思います。


<「母親」とか「母乳」という信条に>


さて冒頭の文章を読んで、「よくわかる母乳育児」(水野克己氏・水野紀子氏・瀬尾智子氏、へるす出版、2007年)の序文がずっと私の中で引っかかっていたことを思い出しました。

 日本では母乳育児を希望する母親は9割以上ですが、生後1〜2ヶ月時に母乳だけで育てている母親は半分にも満たないのが現状です。筆者は、決して人工乳で育てることがいけないとは思いません。母乳で育てる利点、人工乳で育てることで失われるものについてしっかりと情報を伝えられて、そのうえで、母親が人工乳で育てることを選択したのであれば、母親の意思を尊重すべきです。問題なのは「母乳で育てたい」と思っているのに母乳で育てられない母親が少なからずいることです。「母乳で育てたい」と希望する母親が、"日本のどこにいても適切な母乳育児支援を受けられる"そんな国になることを願って止みません。

 日本で現在、子どもを母乳で育てるのがむずかしい理由のひとつは、母乳だけで育てられる能力をもっていても、母親が自信をもてなくなるような情報などのために、人工乳を使わざるをえない状況に追い込まれている環境にあります。この問題は、支援者が母乳育児に関する必要な知識をもち、母親と児が自然に母乳育児ができるように手助けすることができれば解決につながることも多いでしょう。

 2つ目の問題は「人工乳で育てている母親が母乳育児の利点を見聞きするとつらい思いをするから、"人工乳でもよい"と母親に言ってあげるべきだ。そのほうが母親のストレスを少なくし、子育てが楽になる」といった誤った思いやりです。この"思いやり"は母乳で育てようという動きを阻害する力になっています。もちろん、支援者は「母乳はこんなにいいのだから、子どもは母乳だけでそだてなければならない」などと押し付けてはなりません。支援者自身が科学的な知識をもち、かつ、適切な支援を行えれば、母親を追い詰めることにはならないのです。

 3つ目に母乳育児に関する情報の錯綜があります。いまだに数十年前の根拠のない(現在は科学的に否定されている)情報を伝えている媒体(雑誌・サイト)などがあり、母親に「どれが本当の情報なのか、どうすればよいのかわからない」という悩みをもたらす原因となっています。支援者はつねに新しい情報に目を向けなければなりません。母乳や母乳育児に関する医学論文は専門誌に毎月のように掲載されています。それらすべてに目を通すことは無論不可能ですが、科学的根拠に基づいた情報を提供する学習会や医学雑誌にふれて、新しい情報を柔軟に取り入れる"柔らかい頭"をもたなければならないでしょう。

 人の臓器にはそれぞれに対して検査する方法がありますが、これまで授乳中の乳房だけは科学的なアプローチがほとんどなされていませんでした。今後、科学的なアプローチを通して、目の前にいる母親と児が必要としているテーラーメイドの母乳育児支援が重視される時代がくるでしょう。(中略)

 最後に、筆者は、これまで母乳育児に関する多くの悩みをかかえた母親を診察したり、母親から手紙をいただいたりしました。その経験を通して学んだことは、母乳で児を育てようとしている女性は"すばらしい女性"ということであり、最大の敬意をもって接することが大切であるということです。この母親が児と一緒に母乳育児を通して経験する楽しみ・達成感を分かち合えることは、母乳育児を支援する者としての最大の幸せといえるでしょう。

この本を書店で手に取った理由は、なぜ「完全母乳」という言葉が広がり出したのか、なぜ哺乳瓶やミルクを使わせない施設が増えてきたり、帝王切開直後から母子同室をする施設まで出て来たのか、その背景に広がる考え方を知りたいと思ったからでした。


その後、この団体が出している「母乳支援に関する『10のコンセプト』」 を知りました。
その団体の母乳育児支援者は「母乳育児は無比のものであることを認める」「母親の"力"を信じる」という信条があることを。


でも上記の「序文」を読んでも、新生児に対する視点がないことが気になっていました。
まだまだわかっていない新生児の変化を解明していくための科学的(医学的)なアプローチのためには、こうした信条が先にあるとむずかしいのではないかと感じたのでした。


「理想と現実のあいだで折り合いをつける」で紹介した、「科学は身も蓋もない」「科学は生き方なんて教えてくれない」、これを知っているだけでも母乳育児支援という社会のモードをもう少し冷静に見ることができるのではないかと思います。


信念、信条が先に立つ「母乳育児支援」に、医学的根拠(科学)はどのように使われるのでしょうか?



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